♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

【国語教育】高校入学時の古典の扱い方

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▼ 古典なんか必要ない
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共通テストが終わり、私大入試が本格的に始まってきました。授業内容も入試対策と銘打って、過去問を解き、解説を行う授業が中心となっていますが、そんな中で授業に対する集中度が下がってきているように思います。よくよく聞いてみると、私大入試に古典が必要ないからだと言います。実際に受験科目を調べてみると、多くの学校で国語(現代文)となっていて、共通テストが終わってしまえば古典は用なしというのが現状のようです。そもそも共通テストすら古典が必要ないという生徒もいて、古典は一体何のためにやっているのか、と疑問を抱きながら生徒が授業を受けているのだということを改めて実感しました。

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▼ 古典探究の目標
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まもなく学習指導要領が改訂され、古典の役割や存在意義について考えなおす必要があるように感じています。(というか、今勘違いしているということに気づかなければならないということのようです。)その中で明確に「古典」という名がついている科目は「古典探究」です。古典探究の科目における目標について、新学習指導要領では次のように規定しています。

言葉による見方・考え方を働かせ、言語活動を通して、国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに、我が国の伝統的な言語文化に対する理解を深めることができるようにする。
(2)論理的に考える力や深く共感したり豊かに想像したりする力を伸ばし、古典などを通した先人のものの見方、感じ方、考え方との関わりの中で伝え合う力を高め、自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
(3)言葉がもつ価値への認識を深めるとともに、生涯にわたって古典に親しみ自己を向上させ、我が国の言語文化の担い手としての自覚を深め、言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う。

私の言葉で言い換えるならば、
①昔の人の見方や考え方から、伝統文化を理解したり自分の考え方に生かしたりすること
②言葉の価値を知ること
だと言えます。今現在の古典では、読解力を鍛えることが最優先事項になっているため、①や②を扱っていても、その負担感ばかりに目が行ってしまって、古典嫌いを招いているのです。では、これからは古典の読解力を鍛えることよりも、中学校の教科書のように、本文に現代語訳がついた状態で作品に親しんだり、音読させたりすることを優先して進めていけばよいのでしょうか。

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▼ 読解を求める大学
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残念ながら、そういったことを求めていないのが大学です。私は文学部の日本語日本文学専攻(昔で言う国文科)だったので、大学の研究では、原典をどんどん読み込んでいき、その作品の言葉の意味についてさらに深く考えていくことが求められました。
それ以外の分野であれば、古典の基礎知識なんていらないのでは。そういったことを考える方もいますが、現状で一定以上の学力を求める大学では、古典を受験科目に据え、文法的な知識や古語、古典常識などの理解力を測る問題を準備しています。これから学習指導要領が改訂されることで大学入試が変わる可能性がありますが、古典の一定の読解力を持っている生徒に入学してほしいという大学が大幅に減ることは考えにくいだろうと思っています。


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▼ 毎回5分小テスト
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こういったことから、これまで通り古典の読解力を高めるための工夫が必要だと考えます。ただし、安易に文法の授業を何度も丁寧に繰り返し行うことは、古典嫌いを招いてしまいます。そこで、思いついたのが毎回5分程度の短い時間で小テストです。まずは古典文法の一覧表、そして古語です。この2つを丸暗記で覚えられれば、ある程度の文章は読めるようになるように思います。この話をすると「丸暗記なんて時代錯誤だ」と言われます。けれども教員生活を送ってきたうえで分かったことは、覚える意味を分からせたうえで覚えさせることは教育に効果的ですが、英語や国語ではそうとは限らないということです。そもそも古典文法を覚えるメリットなんて、入試問題ができること以外に未だに分かっていないですからね。(笑)

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▼ 古典で身につけたい力
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最後に、高校3年間でどのような力を身に付けさせたいかを書いて終わろうと思います。先述のとおり、古典探究の目標は
①昔の人の見方や考え方から、伝統文化を理解したり自分の考え方に生かしたりすること
②言葉の価値を知ること
ですから、基礎的な知識をつけた上で、たくさんの作品に触れ、たくさんの言葉を読み比べていくことが大切です。本で古典文学を読み進めていくことが難しいですが、そういったこともこれからは先生として必要なのかなと危機感を持っています。そして、生徒たちが古典文学に触れていく中で、まずは古典を面白いと思える感覚を身に付けさせたいなと思います。
もう一つ、過去のブログでも語ったことですが、古典の授業で扱う内容を、古典とは関係のないことに生かせる力も身に付けさせたいと思います。例えば品詞分解です。

※品詞分解とは(1月3日のものを転載します)
私の専門である国語には、現代文法と古典文法で品詞分解というものがあります。現代文法は、中学校で
私/は/明日/学校/へ/行き/ます。
と習うものです。もしかしたら、
私はネ、明日ネ、学校へネ、行きますヨ
という文節に区切る作業の方が、習った覚えがあるのかもしれません。
これが高校では古典文法になり
男/も/す/なる/日記/と/いふ/もの/を/女/も/し/て/み/む/と/て/する/なり
と分解して、それぞれの意味を説明する力が求められるようになります。

この品詞分解から身に付けてほしい発想は、目の前で起こった出来事に対して細かく分析する力です。例えば、私がキングコング西野亮廣さんを好きな理由を分析すると、品詞分解の発想がなければ、プペルの作者だからとか、かっこいいからというざっくりとした理由しか出てきません。しかし、細かく見てみると、『えんとつ町のプペル』のストーリーには西野さんの実際の体験が含まれていて、その部分に共感したことから好きになったし、本人の見た目というよりは「誰よりも努力する」という姿勢がかっこいいと思ったからであり、この細かな分析力がなければ、生きていくうえで苦労するだろうと思うのです。
古典が役に立たないという発想も、この力がついていれば、現代語訳の作業は無駄かもしれないけれど、恋愛の時に男性が女性にどのような配慮をしていたのかという文化が今の恋愛にも生かせるのではということに気づけると思うのです。今の目の前の生徒たちにも何度も伝えていることですが、これからの教え子たちにもたくさん伝えて行きたいなと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




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