♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

【国語教育】国語はどこへ向かうのか

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▼ アップデート完了
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 先日、中堅教諭等資質向上研修(後期)の教科指導がありました。内容は、現代の国語を教材の中心として、「読むこと」「書くこと」を言語活動を通して指導案を作成し、発表するというもので、とても刺激的な時間でした。普通ならば、ここで学んだことを学習指導要領通りに伝えて終わりなのですが、実はもう一つ出会いがありました。
 それが以前もお伝えした、恩師との再会です。恩師は今や管理職となってしまったため、建前上は学習指導要領通りのことしか言えないと言いつつも、本音を伝えてくださいました。それは今の学習指導要領とは逆行する部分もありました。そこで今回は、新学習指導要領に基づく、国語教育の目指す教育像を書きつつも、国語教育が受け継いできた大切な点や、我々が考えていくべき点について書いていく「温故知新」で書きます。今回長くなりそうなので、お時間のあるときにぜひお付き合いください。


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PDCAサイクルを回せ
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 どの科目にも言えることですが、新学習指導要領では「資質・能力」の向上を目的としています。たとえて言うならば、今までは芥川龍之介の『羅生門』や中島敦の『山月記』など、どのような題材を扱うか検討した上で、その教材をどのように教えていくかを中心に授業を組み立てていました。しかし、今回からは、対比関係を生徒に理解させ、活用できるようにするために山崎正和の『水の東西』を使う、のように、まずは生徒にどのような力を身につけさせたいかを考え、その上で扱うものを決めていくのです。
 それらが年間を通して計画され、きちんと実行されたか、そして課題として挙がったものは何かを明確にするものが必要となります。それがマネジメントシート(旧年間指導計画)です。ここには、知識・技能の観点で、どのような資質能力が身につくか、思考・判断・表現の観点で、どのような活動を通して高めていくか、主体的に取り組む態度の観点で、①粘り強い取組を行おうとする面と②自らの学習を調整しようとする面をどのように評価していくのかについて書きます。
 知識・技能や思考・判断・表現は、学習指導要領通りの記述を持ってくれば良いですが、全ての項目を1年間で網羅しなければならず、どの時期にどんな力を身につけさせたいかを考え、場合によっては教科担任同士で話し合う必要があります。そして主体的に取り組む態度では、粘り強く、積極的になどの文言を加えつつ、記述によって評価規準を示さなければなりません。
 また、このシートの内容がしっかりと予定通りできたか、のみならず、反省点や改善点を書くところもあるため、このシートを見れば、昨年の取り組み状況が分かるようになっており、教員間のコミュニケーションを促すきっかけとなりうるのです。


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▼ 実際のところ・・・
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 実際のところ、全てを事細かく決めていくことは不可能です。本校も含め、さまざまな学校の現状を聞いていても、しっかりと勉強している人同士が教科担任として協力し合う例はほぼなく、本来話し合うべき評価規準も、4人の先生ではまとまらない、ベテランの先生の抵抗にあって、折衷案を導き出すのがやっとだと言います。
 明確な規準を決めようと思い、頑張っている先生方はルーブリックを用いています。例えば、A評価が「筆者の意見を論理立てて説明し、自らの経験を含めて意見を述べている」B評価が「筆者の意見を論理立てて説明できている」C評価が「筆者の意見を説明しようとしている(説明できていない)」のように、文章によって評価規準を決めます。ただし、実際の文章を読んでみると、自らの経験を含めているが、論としては崩壊している生徒もいれば、自らの経験はあまり触れていないが、非常に分かりやすく論理的に文章が書けている生徒もいて、この生徒がAなのか、Bなのかは、やはりいろんな人の目で見なければならないというのが、どの学校でも悩んでいる点だということが分かりました。 


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▼ 師匠の金言
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 理想と現実の狭間で葛藤しながら1学期間を過ごしてきましたが、冒頭でも紹介した師匠は例外なく理想論を説明してくださいました。しかし、単なる理想論ではなく、あくまで「やれないから考えるのはやめよう」ではなく、「やれないかもしれないけれど、とりあえず考えてみよう」とすることが大切だと説いてくださいました。また、最後の10分間に”語り”をしてくださったのです。
 余談ですが、この師匠から教育実習の時に学んだことが「最後の5~10分間は自らの思いを語れ」でした。生徒にたくさん意見を言わせろ、先生の話す時間は短くしろ、という世の中の流れがありつつも、先生自身がこの教材が大好きで、どんなところが面白いかということを全面に出した方が、生徒にも感じるものがあるはずだとその時教えてくださいました。今回、この”語り”がまさに大きな学びでした。


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▼ 先生の“語り”
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 いくつか印象に残った言葉を載せておきます。私の受け取り方なので、先生の意図とはズレるかも知れません、ご理解ください。
①古典文法は、暗記の道具ではない。
古文を読むときに、助動詞や用言の活用などを暗記させることに注力してしまいがちですが、大事なのは、文章を解釈する中で、なぜこれが推量ではなく、適当なのかということを考えるきっかけとして文法を使って欲しい。
②漢文は句形・句法だけに注目させてはいけない。
将~。という形だけを扱うのではなく、きちんと文全体を見て、だからこんな意味になるんだということを考えさせて欲しい。
近代文学は、馴染みがあるものばかりでよいのか。
羅生門、こころ、舞姫のように、定番教材はあるけれど、本当にそれで良いのか。最近の小説もよいものはたくさんある。どんどん扱って欲しい。
④まずは先生が面白いと思ったものを扱って欲しい。
授業をやりながら、時折ここが面白いんだよねと雑談を言いながら、授業を進めていくのもアリだと思う。方法論ばかりに目が行きがちだが、作品そのものの魅力や面白さを先生自身が感じ、理解した上で授業を行って欲しい。


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▼ 私の気づき
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 特に④は、はっとさせられました。最近は新しい学習指導要領になって、具体と抽象だとか、二項対立だとか、方法論にばかり目が行っていて、文章の面白さ、筆者らしさを感じる表現の豊かさにあまり目が行っていなかったなと気づかされました。学習指導要領通りに教材を選定し、授業を進めていくことも大切ですが、評論文でこの論の進め方が面白いとか、この例は秀逸だよねとか、そういった先生自身の主観も入れられるように教材研究できたらなと感じました。そして、そういった師匠の姿勢が、私のような国語好きを生んだという事実は忘れてはならないし、これからの生徒たちにも大切な一つの体験として味わわせてあげたいなと思います。


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