♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

【学習指導要領】記念講演梗概(横浜国立大名誉教授 高木展郎先生)

この講演は昨年11月に行われた講演を私がまとめたもので、今年度発行の研究誌に載せられる内容です。

高木先生は、高校国語学習指導要領の改定に、過去二度携われており、三度目となる今回が最も注目を集めていると感じられているようでした。また、明治期の学制から戦後の教育へと転換していったように、今社会構造の変化が起きていることもお話しされました。
〇学習指導要領で変わったはずのもの
「まさか先生方、平均点出していないでしょうね。」
日本ではかつて序列をつける評価を行い、当たり前のように平均点をつけてきました。しかし、平成十六年(二〇〇四年)に廃止したという経緯があったのです。高木先生がこのように問いかけられた瞬間、私自身が高校生の時も、教員になってからも平均点が当たり前だと思って生きてきたため、衝撃を受け、勉強不足を反省しました。
「高校時代に国語の時間、どんな資質・能力、学力がついたか言えますか。」
続けて高木先生は、国語の授業で資質・能力を意識した展開がされていないことをこのように話されました。確かに自分自身の経験を振り返ると、『羅生門』『水の東西』など、全て作品名しか出てきませんでした。
〇「資質・能力」が求められるようになったきっかけ
 高木先生は何度も「今求められているのは学力ではなく、資質・能力だ」とおっしゃいました。それは二〇〇〇年から始まったPISA調査の「無答」の割合が高かったことがきっかけであったことや、そこから全国学力学習状況調査が始まったことも話されました。具体的には「二つの文章を比べてあなたの考えを説明しなさい」「図や表の中からどういうことが読み取れるか書きなさい」という問いに対して答える力です。目の前の生徒が答えられるかを考えたとき、人と同じことを書こうとしたり、たった一つしかない答えを求めようとしたりという現状があることに気づき、改めて授業改善の必要性を感じました。
〇学校独自の「社会に開かれた教育課程」とはどういうものか
続いて、学習指導要領と教育課程について説明され、「小中学校とは異なり、高等学校では学校ごとに、特色に合わせて教育課程を作らなければならない」とも話されました。これは生徒たちが学校を出てからも自分一人で学べるように、学び方を教えるためです。このことがカリキュラムマネジメントへと繋がっていることを私たちは再確認しました。
〇スクールポリシーとスクールミッション
我々高等学校の教員は、教科の専門性が高いため、教科ごとでどのような力をつけさせたいかということのみを考えがちですが、それでは不十分だと高木先生は言います。初めに、学習指導要領の総則の解説を読むよう勧めた上で、小中学校と高等学校との違いを述べられました。小中学校では、機会均等の観点から、どの時期にどのような内容を学ぶのかが明確に決まっており、県外から転校してきても、学べる内容が同じだということ。しかし高等学校では学校ごとに「スクールポリシー」と「スクールミッション」があり、それを基に教育課程が作られていなければならないということです。確かに、中学生たちは、その学校の特色を調べて自分に合っているかを考えた上で受験校を決定し、中学校の担任の先生たちも、その学校の校風や学ぶ生徒たちの実績を基に進路指導を行っています。ごく当たり前のことを知りながらできていないことを、この瞬間反省しました。。
〇「教科書主体の授業」から「指導事項を基にした授業」へ
「先生方、心の中でお勤めの学校の学校目標を言ってください。」
講演を中盤に差し掛かり、再び高木先生から厳しい問いが投げかけられました。そして、学校を異動しても、教材が同じならば、学校目標を気にすることなく、プリントを使いまわしたり、同じような授業を展開してしまったりしている現状を話されました。特に「教師が違っても、同じ高校ならほぼ同じような授業を受けられるようにすることが学校の教員の責務だ」という一言を聞いた瞬間、私たちの授業改善に対する考えが自己研鑽にとどまっていたことに気づかされました。高木先生は改善の具体的な方策として、国語科の先生同士で、どこまで教材を進めるかだけではなく、その中でどのような資質・能力をつけるか、学年を超えて全員で共有していかなければならないことを提案され、それらを学習指導要領解説の国語編の系統表を参考に作ることを助言してくださいました。
〇何のための古典文法か
 続いて教育課程実施状況調査の結果から、古典嫌いが多いという現状を挙げられました。本文を理解するために、我々は一年生の一学期で助詞助動詞を暗記させますが、それは資質・能力をつける今回の学習指導要領にそぐわないと断言されました。そして、かつて資質・能力をつけさせるために、現代文と古典の両方を同じ先生が横断的に活用できるように「国語総合」という教科書を作っても、それぞれ別の先生が受け持って、別々に教えてしまったということがあったことも話されました。私たちは、そういった流れの中で、「必ずこの教材を扱わなければならない」という固定観念から、離れなければならないと感じました。その上で郄木先生は困難校での実践を例に、同じ教材文(論説文)を各学期に三回読む。一学期は内容の構成、論理の展開だけを行う。二学期は記述を的確に捉える。三学期は要旨や要点を把握するという計画を提示されました。
〇序列をつける評価から目標準拠評価へ
 さらに定期考査への問題点に対しても言及されました。また、国語の年間計画を決め、単元の中で身につけたい資質・能力が明確になっていれば、定期考査を実施しなくともよいと話されました。例えば、「言語文化」で「作品の成立した背景を基に内容の解釈を深める。」というテーマに対して言語活動例で、Bとなる基準を示すということです。さらに、全員がBになるよう指導案を書くこと、CをBにするための具体的な手立てを書いておきさえすれば大丈夫だとも話されました。私はかつて、ルーブリック評価を取り入れたとき、Aのレベルに達していても、その生徒を上手く評価できず戸惑ったことがありました。そういった例に対して高木先生は、「Bを超えてしまえば全てAです。Aは青天井で、さまざまな形があるから、明確にしなくとも良いのです。」とおっしゃっていて、とても納得できました。
〇主体的対話的で深い学びについて
最後に「学び」についてお話しされました。この項目で最も大切なものは「説明」であり、その事柄について本当に分かっているかどうかを説明により確かめることの大切さを話されました。また「発問」は、特定の答えへと誘導してしまうことが問題であり、考えさせることが大切だとも話されました。例えば「『走れメロス』で誰がメロスを走らせたのか。」という問いに対して、さまざまな答えを出させ、自分で考えて、まとめていく作業を教えることが大切だということです。
講演の最後に高木先生は「深い学びとは「なるほど」「そうか」と腑に落ちることです」といった一言は私の胸に突き刺さりました。これからは、勤務校の生徒たちの現状を踏まえた上で、どのような資質・能力を身につけさせたいかを明確にし、生徒たちに提示しながら授業を展開していきたいと思います。高木先生、意義深いお話をありがとうございました。 



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