♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

【国語教育】「指導と評価の一体化」に向けて(まとまっていません)

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▼ 来年度より変わります
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 新しい学習指導要領が、高等学校では来年度から年次進行で(今の中学校3年生から)実施されていきます。その中で国語科では、国語総合が撤廃され、現代の国語と言語文化という2つの科目に分けられ、小説や古典という内容ではなく、現代の世の中でより実用性が高い資質・能力を育成する方針が示されました。
 その中で大きな議論を呼んでいるのが「指導と評価の一体化」です。簡単に言えば、教師が指導の改善を図り、生徒が自らの学習を振り返って次に取り組めるよう、評価を活用していこうということです。
 これまでは定期考査で結果が出て、反省を書かせて終わりならば改善に繋がっていないのではないか、という批判がありました。また、挙手の回数や毎時間きちんとノートを取っているかなどの先生へのアピールが上手くできたかという、一時的に表れた場面を評価として扱うのは問題があるという声もありました。さらに、毎回記録を取るようにすれば生徒の実態を把握できるが、そこに労力を割いてしまい、その後の指導がおろそかになってしまうことも問題となっていました。これは中学校勤務の時に強く感じたことでした。これらを改善するために、今回は評価に限定して、どのような変化が必要かということについて、研究会で学んだことや、中学校勤務の先生方の話をまとめ、自分なりの答えを示していきたいと思います。


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▼ 観点別評価
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 高校でも以前から年間学習指導計画には記載されていましたが、今回からはそれらが通知表やそれに準じた形で生徒に示す必要性が出てきたため、今回の目玉として言われるようになりました。旧学習指導要領では、国語科の観点は5観点ありました。「関心・意欲・態度」「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」「言語の知識・理解」です。現在、中学校ではこのうち「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」を「思考・判断・表現」で、「言語の知識・理解」を「知識・技能」で、「関心・意欲・態度」としていたものを「主体的に学習に取り組む態度」として評価するようになったのだそう。
 私の経験から、「思考・判断・表現」は、定期考査での文章題や、定期的に実施するスピーチ・作文をルーブリックという評価規準表に基づき採点することにより評価をつけることになるかと思います。また、「知識・技能」は、定期考査での漢字・文法の範囲や、授業内小テストに基づいて評価をつけることになるかと思います。問題は「主体的に学習に取り組む態度」です。
 

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▼ 何を主体的と取るか
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 ある学校では、授業ごとに振り返りプリントやワークシートを書かせて、その成長度合いを評価に加えていると言います。以前行った道徳の評価では、同じ徳目(例えば、主として人との関わりに関することの「思いやり、感謝」)に対する考え方の深まりを、個人内評価の記述式で実施しました。そのような意識の変容が評価の対象となっていることが予想されます。
 またある学校では、決められた範囲を宣言して、そこにどれだけ取り組めたかを「主体的」と評価している場合もあるようです。主体性と数値との関係性は不透明ですが、生徒にとってみれば、頑張った分だけ評価してもらえると思えるため、ある意味では理にかなっているのかもしれません。
 さらにある学校では、授業ノートを提出したかどうかで評価をつけているのだそう。一見、提出物評価で全く変化のない指導に思えますが、そうではありません。初めにノートの取り方を提示し、それぞれで示された基準をクリアできるよう努力させます。その後、基準に満たない生徒に対して、個別に助言を加え、提出自体が「主体的態度」の高まりを示していると考えるからです。では、高等学校ではどのようなことが求められるのでしょうか。


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▼ その行動は適切か?
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 国立教育政策研究所の資料(URLは後述します)によると「主体的に学習に取り組む態度」は、①粘り強い取組を行おうとする側面と、②自らの学習を調整しようとする側面の2つから評価することが求められています。①は、粘り強く努力したかです。例えば、文章を書いて、何度も先生の元へ見せに来た。問題点を整理しようとたくさんの文章を書いた。
 ②は、自分の問題点として自ら見つけたものを改善しようとしているか、もしくは他人から指摘されたものを改善しようとしたかです。例えば、「一文が長いから、短くすると良い」「内容が変わるところでは、段落を新しくすると良い」という助言を受けた時に、「一文が長いと言われたので、先程の文を少し短くしました」「内容で段落を区切るよう書き換えました」という記述が見られた。
 ここで気になるのは、努力の結果、改善が見られたかという点です。言い換えれば、適切に改善できたかということですが、これは評価の対象とすべきではないとされています。例えば、先程の生徒が一文100字の生徒が、短くしようと何度も書き直して80字に減らしても、一般的には長く感じられ、努力が不十分なように感じられます。しかし、「粘り強い取組」をし、「調整しようとする」という面においては行えているたため、Cという評価をすべきではないというのです。
 

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▼ 指導場面を限定せよ
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 高等学校では、観点別評価に向けて、場面の精選が求められています。中学校勤務の時には、毎回の授業で振り返りシートやワークシートを書かせていたように思いますが、単元や題材などの内容や時間のまとまりごとに行うなど、評価場面を精選するよう言われています。だから、山崎正和「水の東西」では、対比構造を学び、この対比を使って作文を書くと決めて、自分の作文の問題点を互いに話し合い、その指摘に基づいて、どのように書き換えたかを何枚か積み重ねておいて、評価をつけるという方法なのだろうと分かりました。


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▼ いや、そんな時間は・・・
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 自分で書いていて分かったことですが、毎回の授業でなくとも、生徒の資質・能力の向上のために、作文を書かせる時間を取ることや、変容を評価する作業は、今よりも確実に負担が増えて、はっきり言って難しいと感じました。知識・技能が大学受験で問われている以上、この部分を大切にしつつ、生徒一人一人の資質・能力を向上するための授業作りは、今の我々の考え方では不可能です。今やれていることと、これからやるべきことのバランスを取った授業法というのがこれからの課題であり、私たちが研究していかなければならないことだと感じています。あまり上手くまとめられませんでしたが、もう少し研究を進め、形にして行けたらと思います。


参考URL:


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