♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

【生徒指導】叱るために必要なもの

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▼ 職員室前で指導
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先日、遅刻指導に遅刻した生徒がいました。そこで生徒は指導を受けたのですが、こういった生徒指導の考え方について、現時点での認識をはっきりとさせる必要があると考えました。生徒指導が、”殴る蹴るが当たり前”の時代だったものから、たくさん褒めましょうという時代に移り変わる中で、教員として大切にしていることを書きます。


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▼ なぜ怒ってはいけないか
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生徒指導の大原則としてよく言われていることは、「怒る」ではなく「叱る」ことだということです。この違いは、感情的か否かということなのですが、この言葉を表面的に捉えてはいけないように思います。この感情的になってはならないという理由は、感情的になると衝動的に暴力や暴言につながってしまう危険性に繋がるからです。自分はそうなるわけがないと思っていても、本当に許せない相手が目の前にいたら、当然行動に出るからです。たまに保護者の方で、「どんどん殴ったってください」という方もいらっしゃいますが、殴るというのは攻撃ですから、教育者としてあってはならないのです。これは私も反省すべきことがかつてありましたので、本当に気をつけた方がよいと思います。


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▼ 基準を明確にする
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ここでもう一つの勘違いを紹介しておきます。それは、基準からはみ出たものは片っ端からすべて叱るべきだという考え方です。これはある意味では正解ですが、間違った指導になりがちな考え方です。端から見た感じでは、”モグラたたきをしている先生”と言えば少しは分かってもらえるでしょうか。
モグラたたきは、出てきたモグラを素早くハンマーで叩くゲームです。つまり、モグラは地上に出てきたはならない生き物だと捉え、ひたすら叩き続ける作業に取り組むわけです。(あくまでゲームですから、そんなことは考えませんけどね。)これを置き換えると、生徒は失敗を犯すものだから、ルール通りにすべてを取り締まるべきだと考え、日々生徒のことを”監視”することになります。この点が問題なのです。例えば、スカートが短い生徒を見たら、片っ端から直させるということです。その指導だけを見たら何ら問題はないのですが、それだけをしていては、生徒が反発して余計にスカートを短くします。先生にばれないようにスカートを短くすることで、先生の欠点を指摘するようになります。お互いにとってメリットはありませんね。


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▼ では褒めればいいのか?
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では生徒とよい関係を築くために、たくさん褒めようという人もいます。これもある意味では正解ですが、本質的ではありません。例えば、間違った行動をした生徒に対して、「自分でそれが悪いと分かっているから素晴らしいね」というようなものです。本当にその生徒は、何が悪いか分かっているのでしょうか。先生の叱りたくないという気持ちがそう言わせているように感じます。本によっては、「叱る」ことと「褒める」ことをバランスよく行うことが大切だと書いているものもあります。とても大切な心がけですが、その意味を分かっていなければ表面的な指導で終わってしまいます。では何が必要なのでしょうか。


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▼ 先生は”期待して”見てくれている
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一番大切なことは、生徒が「見てくれている」と感じるよう接することだと思います。それを中学校では、「生活のあゆみ」という日々の日記や、教育相談という形で実現していて、それがその生徒になってプラスになっているかどうかは別にして、先生が学級の生徒全員に目を配る必要があることをシステムが教えてくれています。
しかし高校では、面談はあるものの、中学校ほど生徒との距離は近くないため、生徒全員を見ようという意識は強くありません。(していないというわけではありません。)この点が今の高校の弱いところであり、「この学校は面倒見がよくない学校だ」というレッテルを貼られる原因となっているのだと思います。公立高校の定員割れの原因の一つです。
脱線しましたが、先生が「見てくれている」という感覚があれば、叱られても(反発はしますが)納得できるし、褒められたら嬉しさが倍になります。言葉も「いつもお前は遅れて出すからいけないな」から「丁寧な字で書けるようになったな」「でも遅れて出すことはルール違反だから駄目だ」というものに変わっていきます。
また、”期待して”というのも大切なことです。どうしても目の前の生徒にはレッテルを貼ってしまいがちです。レッテルというのは、その人の一面だけを見て評価することなので、この子は良い子だ、この子は悪い子だというレッテルが判断を狂わせます。だから、できる限りレッテルは貼らないようにし、行為に対して評価を下すのがよいと思います。例えば、「相手を馬鹿にするところは駄目だ」「話を聞いていない部分があることを自覚しなさい。その部分が直せないところは悪い。」という言い方になろうかと思います。私も完璧にできている訳ではありませんけどね。


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▼ 素敵な叱り言葉
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最後に、今まで聞いた中で、心に響いた言葉を紹介して終わろうと思います。それは

「お前のやっていることは全部人任せだ。本来は自分で自分を叱らなければならないところを、人に叱ってもらっている。自分に与えなければならない罰を人に考えさせて、与えてもらっている。それに対して文句を言うとは何事だ。それができていればこうやって叱られることもないだろう。自分でできるようになれよ。」

その先生が、その生徒に対して普段からどんな話をされているかは分かりませんが、きっと「高校は自己管理をすべきところだ」という指導がなされているからこそこういった言葉が出てくるし、生徒も納得いくのかなと感じました。
今回扱った内容は、あくまで普段から接している生徒に対しての指導です。学年が離れたり、普段あまり接していなかったりする生徒を叱るときには、どんなに一貫した言葉でもなかなか響きません。これが難しいところで、先生自身が他人任せになってしまう部分です。かくいう私も、すべての高校生に指導はできません。自分とはつながりのない生徒との接し方は今後も課題として考えていきたいなと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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