♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

【学校経営】高校の道徳について

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▼ 道徳とは?
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小中学校では、特別の教科道徳として、道徳教育に力を入れて取り組んでいます。週に1度必ず授業があって、教科書を使って、さまざまな徳目を扱い、道徳的価値観を養っていきます。また、普段の学校生活においても、いじめや悪ふざけがあってはならない理由、ルールやマナーを守る必要性などを意識させることが多く、教育活動全体を通じて道徳を意識させているように感じます。
 文科省の言葉を借りると次のような言葉となります。

 道徳授業の質をより高め、教育活動全体を通じて行う道徳教育の要の役割を果たしていくためには、指導方法や教材の選定だけでなく、学校や日常生活での体験や各教科等とのつながりを意識し、相互の関連を図ることも大切です。指導体制の構築、指導計画の佐生政、体験活動の充実、家庭や地域との連携など、学校全体で取り組んでいきましょう。

まさに自分が中学校勤務で感じた道徳教育と同じことが言われていることがよく分かります。


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▼ 高校の道徳とは?
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 一方で高校には道徳科がありません。この理由を文科省ではこのように解説しています。

・高等学校における道徳教育は、「人間としての在り方生き方」に関する教育を、学校の教育活動全体を通じて実施する。
・高等学校における道徳教育は、学校教育全体で展開するが、その中でも公民科の現代社会及び倫理、特別活動を「中核的な指導の場面」として重視して指導を行うこととしている。

つまり、高校では現代社会、倫理、特別活動で道徳を意識させるべきだというのです。この話を聞いて、ピンと思い浮かべるのはホームルーム(中学校で言えば学活)に関連した学校祭や修学旅行、学年行事などの準備や、普段の生活にある清掃や係・委員会活動など。そして部活動です。総合的な探究の時間や各教科でも、どのように扱うべきかが言及されていますが、今回はこれらを除く前者の特別活動について考えていきたいと思います。


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▼ あなたは何ができる?
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 高校ではあまり扱われない内容として、係・委員会決めというものがあります。全員にまんべんなく経験させたいということから、「一度は委員会に所属すること」という制限を設けている学校がいくつかあるようですが、小中学校ほど大切にはしていないように思います。それは手抜きにしているわけではなく、人材がいないという事態があるからです。例えば、公立高校で人気のない学校の生徒たちの中で、学級委員(室長)や生徒会のメンバーを選ぶとなると、やったことのある生徒は当然おらず、やってみたいと思う生徒は時々いますが、問題なく任せられる生徒は一握りしかいないのです。
 よって係・委員会決めで大切なことは、自分のできる範囲で役割を選んでいく作業ではなく、決まった役割に従って生徒を育てていくという感覚の方が近いと思います。小中学校はリーダー格の生徒はある程度意識されているので、これが誰に該当するかは明確ですが、高校は“イエスマン”か時の運か、場合によっては教員との仲の良さで決まるため、基準は不明確なのです。当然いきなり仕切らせても、うまく仕切れないため、事前に打ち合わせを行い、1時間終わった後の反省会を設けて成長していきます。もし仮にそういったことがない場合は、仕切らせてみて問題がないと判断した証拠ですね。

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▼ 問題勃発は必然
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 中学校では、小さな問題も見逃すことが許されない風潮があるため、事前にたくさんの手を打ちますが、高校はそこまで生徒を観察することはありません。ずっと生徒の近くにいてはお互いに息苦しいし「うまくやれるでしょ?」が前提にあるからだと考えられます。自分たちで問題も含めてうまくやれれば教員は何もしなくて済みますが、そういった場合ばかりではありません。生徒同士で解決できないような複雑な問題も起きてしまうため、これに対処しなければならないのです。そうならないように事前に手を打てばよいですが、それでも起きてしまうことがあるのです。
 また、こんな興味深いブログも見つけました。

この先生がおっしゃる、「女子同士のトラブルに特有なのは、当事者である生徒にトラブルを早く解決しようという気持ちがあんまり無いということ。」や「それがコミュニケーションのネタとなってしまい、その状況を歓迎してしまう」にはひどく共感しました。だからトラブルによって生徒同士の人間関係やコミュニケーション能力を鍛えていくことになるのですね。この解決方法は生徒指導の内容になるため、また別の機会に話したいと思います。


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▼ 運動部で気づいたこと
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 部活動もそういったトラブルが道徳に繋がっているとばかり思っていたのですが、それだけではありませんでした。私が今受け持つバレーボールでの気づきがきっかけでした。バレーボールでは、サーブを打つときにラインを踏んではいけない、トスの時に回転をかけてはいけないなどさまざまなルールがあります。ただ、この点は審判によって基準が異なるため、いつもは指摘されない内容を突然指摘されるため、不満はその審判に向けられます。審判はその不満を受け取ると、(意識はしていないと思いますが)さらにその点に注視して厳しくジャッジするようになり、さらに生徒が不満を募らせていくという負の連鎖が起きました。また、審判が公平にジャッジされていても、生徒がいつも通りにプレーできず崩れていくこともよくあります。これはなぜでしょうか。
 ここで大切なことは、試合によって審判の基準が違うことと、それを知ったうえで改善できるよう予め練習しておく必要があるということです。特に前者は、生徒指導でよく話題になる、この先生はOKと言ったけれど、この先生はNGだと言ったけれどどちらを信じればよいのかという不満と同じ類だと考えられます。人それぞれ違和感は違って、そのすべてを明文化することは不可能です。それよりも、相手によって気をつけるべきポイントを変えて、接していくことが必要で、まさにこれが高校で大切にしてほしい道徳的価値観の一つだと思います。
 勘違いされたくないので補足しますが、これは〇〇先生だからルールを守らなければならない、△△先生だからルールは破ってよいという発想ではなく、ルールを守ったうえでこの先生にはどの点をよく見る人だから注意しようという発想を持つべきだということです。この裁量を理解していない生徒が多いのはとても残念で、この部分をしっかりと分けて教えることが、高校で教えるべき最も大切なことだと感じています。


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▼ 最後に
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 今回は道徳について扱いました。高校では生徒同士のトラブルが道徳の学びに繋がっていることが少しでも分かってもらえたらうれしいなと思います。先ほども書きましたが、先生によって言うことが違うということは、とても扱いづらい内容だと思います。指導は統一されるべきだし、矛盾した指示が出ることを社会に出る前に知っておくべきだとも言えるからです。すべてをルール化して徹底的に守らせることも場合によっては必要ですが、特に高校生には、そのルールをきっかけとして、お互いに気持ちよく生活していけるように話していくことが大切だと思います。先生に盾突くなんてありえないという方もたくさんいると思いますが、生徒を抑圧して指導する時代はとっくの昔に終わっていますから、その点は柔軟に対応すべきなのかなと感じています。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




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