♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

なぜ国語を学ぶのか?

1600字超の文章です。ご注意ください。

まもなく"国語の先生"になってから丸8年が経とうとしています。これからはシリーズとして、①なぜ国語を学ぶのか?②中1から高3まで担任を務めてみて、各学年でどう違うのか?③部活動は本当に悪なのか?を書いていこうと思います。

 

今回は、「なぜ国語を学ぶのか?」

1年目から、最初の授業で必ず話してきた内容です。あなたならどう答えますか?大卒すぐの頃は、次のような話し方でした。

 

高校の国語は、現代文と古典に分かれているよね。現代文は、普段読まないような文を読むことで、その人が何を伝えたいのかを理解しようと努力する力を身につけることが第一です。

古典、特に古文は、元々こんなきれいな文字ではなくて、古文書と呼ばれる文字で書かれていたものなんです。なぜ読むかというと、千年前の人の文が今の人達と感覚が同じだから。どんどん勉強して、それを実感していきましょう。

 

悲しいですが、今文字起こししながら「こんなの伝わるはずない」と思ってしまいます。なぜなら、高校生のこと、全く考えて話をしていないから。事実、古文書のコピーは、大量のゴミとなって捨てられていました。

中学校へ転勤する頃には少しはマシになっていました。次のような言い方です。

 

国語はなぜ学ぶと思いますか?

それは恋愛です。もっと詳しく言うと、例えば好きな人が伝えたいことって、話からもメールからも受け取りたいって思うでしょ?それが読む力です。この読む力をつけるために、普段みんなが読まない小難しい、興味をもたない文を読まされるんです。もちろん文だけじゃなくて、その人の好きなこととか、喜んでくれることも分かるようになるから、国語ができれば、恋愛も上手くなります!え?彼女?いるに決まってんじゃん。

あと、古典っていうのは昔の人の教科書だからやるの。例えば、春と言って想像するものって何?桜いいね。桜がいつ咲くのかとか、いつ満開かとかは今でも話題になるけど、千年前の人達も話題にしてた訳。だから今の言葉を知るためには、昔の人の感覚を知ったり、言葉を知るといろんなことが学べるんだよ。

 

ここまでいくとだいぶ想像しやすくて、実感がもてるなと思いますが、国語に興味をっていうよりは、言葉巧みに騙しているような感じがします。本質に迫っているように見せて全く関係ない話をしているからだと思います。

そこで、来年度からは、次のように話そうと思います!ここ数日で考えました。

 

国語を学ぶ上で一番大切な力は何でしょう?読む力、話す力、書く力、聞く力、語彙力…。いやいや、一番大切なのは、気持ち。具体的に言うと、

 

いつでも、どこでも、誰に対しても贈り物をしようとする気持ち

 

例えば、今僕が話をしている時に、うんうんって頷いてくれている人がいるね。これは、話している人に「聞いているよ」って合図をしようという気持ちですよね。これは私にとっては話す力とあなたにとっては聞く力。

例えば、好きな小説があって(本を読まない人は好きな言葉があって)それのどこが面白いか、心に響くのかっていうのを伝える時には、何度も読み返して自分の言葉にしようとする。これは読み取る力(=読む力)と書く力。そして、この2つをもっともっと色んな言葉で表そうとするのが語彙力。

ただ、これらは気持ちがないと意味がないんだわ。だって、普段何にも聞いてくれない人に、ねぇちょっと聞いてって言われるのはうっとうしいし。俺は米津玄師好きだけど、パプリカいいよね。あの感じ。あの雰囲気良いよねって意味分かんないよね。笑

技術がなくても、気持ちがあれば、お互いに受け取ろうと努力できるから、国語を勉強するにあたって、頑張ってやっていこうね。頑張り方?それは1年かけて教えていくから焦らんように。

 

これも完璧ではないし、目の前で話しながら口調や言葉遣いも変わるだろうから、それこそ、目の前の人に何か贈り物をしようという気持ちで話していきたいなと思います。