【講演梗概】
○サプライズ好きな上野先生の演出
講演に先立ち、先程研究発表した教諭を壇上に呼び、クロストークをしようと提案されました。上野先生以外誰も予想だにしなかった展開に、会場は大いに盛り上がりました。教諭の外国籍の生徒に短歌を作らせる取り組みは、例えて言うならば、フランス料理を食べたことのない人がフランス料理を作るようなものだとし、絶賛されました。
〇新科目「言語文化」の意味合い
続いて上野先生は、「け」という言葉を例に出されます。「毛」を表すだけでなく、日の複数形を示すことを例に、髪の毛の長さと、年齢との関係について話されたのです。特に古代社会では、女性の成人の際に、それまで垂らしていた髪の毛を頭頂に結い上げる「髪上げ」をする文化があり、女性が髪を伸ばし始めることや、裳をつけるようになることなど、見た目で既婚者かどうかが見えるようになっていたと説明されました。そういった文化的な側面から、古典の魅力に迫るような授業をしていないことに気づかされるとともに、本来はこういったことを深く扱うための科目であることも改めて気づくことができました。
〇歌を「理」で説明するからつまらない
私が特に印象的に残ったシーンがここでした。上野先生は「情」は古代から韻文によって表現され、「理」は散文によって表現されてきたことを話されました。つまり、短歌や詩などは本来、歌のリズム感やメロディによって伝わるものであって、それを抑揚も付けずに読んで解説しようとするからこそつまらないのだとおっしゃるのです。私自身、生徒たちに音読はさせていたものの、音で「情」を感じさせるという意識をもたずに授業を行っていなかったことを反省し、自分自身が音読を重ねることで歌の魅力を読み味わう必要があると感じました。
〇説明されない情緒的な側面
講演の中盤からいよいよ万葉集の作品を例に挙げ、恋と季節の移ろいを表すための情緒的性格についての話が始まります。
よしゑやし 恋ひじとすれど 秋風の寒く吹く夜は 君をしそ思ふ
(夜に寄する 巻十の二三〇一)
この一首には、愛する男性との別れがあったことや、秋が人肌恋しくなる季節であるということが込められています。それらは明言していなくても、その感覚を共有しているからこそ成り立っているのだと話されました。
〇訪れを待つ苦しみと訪れのない苦しみ
古代の結婚の形は妻問ひ婚(女性の家に男性が訪れるもの)だということは教員の誰しもが持つ知識ですが、ここに関連した万葉集の作品も紹介がありました。
君待つと あなたを待つと
我(あ)が恋ひ居れば 私が恋い慕っているとー
我が屋戸の 私の家の
簾(すだれ)動かし 秋の風吹く 簾を動かして 秋の風が吹いている・・・
(巻四の四八八)
この歌にも共感があることを説明されていましたが、下の段の「―」や「・・・」を使って詠嘆を表している所に思わず目が行ってしまいました。
鏡王女(かがみのおほきみ)作る歌一首
風をだに 風だけでも
恋ふるはともし 恋慕って、
(愛する人を待つのは)羨ましいー
風をだに 来(こ)むとし待たば 風でだけでも来てくれるだろうと
待っているのなら
何か嘆かむ 何を嘆くことなどありましょうや
(私はね・・・)
(巻四の四八九)
前ページの一首とこちらの一首について、上野先生は鉄板ネタとして次のような話をされました。
土曜日の講義が終わる時間に、「十二時二十分で今日の授業は終わりということですが、収まりが悪いので三十分ほど延長したいと思います」と言うと、次の待ち合わせがある人は鬼の形相になり、待ち合わせがない人達はにこやかになり、少しでも長く続けようとし、授業が活性化します。これがまさに、待つ人がいる苦しみを持つ人とそうでない人に教室が真っ二つに分かれることになるのです。
このように「情」の部分は、作品を読み上げることで理解し、「理」の部分は語りで補う「歌語り」で理解し、これが日本の芸能の中心だと話されました。学校現場のみならず、世の中の芸能の中心がこの歌語りであるという内容は、カラオケで歌詞を歌い味わう生徒たちにとっても、非常に腑に落ちる事実だろうと感じました。
〇日本文学にこんなに激しい恨みの歌があったのか
最後に学校現場では使えない嫉妬の文学について話されました。「恋敵が設けた小屋を焼き払ってしまいたい」「汚らしい不格好な手をへし折ってやりたい」という激しい嫉妬心を表した歌の紹介とともに、聖武天皇と光明皇后がツインベッドをくっつけてダブルベッドにして寝ていたエピソードなど、さまざまな雑学を交えながら話されました。淡々と話をすれば、恐怖心すら覚えるような話題であっても、軽妙な口調と豊富な雑学を交えながらの上野先生のお話は大変面白く感じました。
本来ならば全ての歌を載せる所ですが、文字数も限られていることから、この嫉妬心あふれた歌の反歌を載せ、私たち男性の恋愛に対する女性の心を知るための教科書としたいと思います。
我(あ)が心 私の心
焼くも我なり (それを)焼き尽くすのも私の心から―
はしきやし あぁ―どうしようもなく
君に恋ふるも アンチクショウを恋いしく思ってしまうのも…
我(あ)が心から (おんなじ)私の心から― (巻十三の三二七一)
嫉妬心も恋心も、出てくるのは私の心から。大変興味深い作品でした。
〇講演を受けて我々が取り組むべきこと
講演後の質疑応答の中で、とある方から、あいみょんというアーティストの曲に、「貴方解剖純愛歌」という嫉妬の歌があって・・・という話題が上がりました。万葉集の時代から続く嫉妬の歌は、令和になった今でも受け継がれていることを気づかせてくれるような話題で、私自身目の覚める思いがしました。古典作品そのものに時間が割けないと悩む先生方が多い今、最新の音楽から古典作品にまで話を繋げていくことは本当に難しいことですが、生徒からそういった話を引き出しつつ、古典作品の魅力について考えを深めていくことが我々の課題であり、使命であると強く感じました。
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