♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

【一般向け】中高交流で見えた、今の時代に求められるもの

1600字程度の文章です。

◯場面に応じた行動ができるか

高校へ戻って、忘れていた感覚を取り戻しています。例えば、職員室の入り方に違いがあります。中学校では、職員室の中へ入る文化がありません。だから入り口に立って「◯◯先生いらっしゃいますか?」と声を上げ、その先生を呼びます。先生を動かすのです。しかし、高校は職員室の中へ入る文化があるため、入り口で「失礼します」程度は言うかもしれませんが、基本的には勝手に入室して、各先生のそばに立って「お仕事中すみません、今よろしいでしょうか」と声をかけるのです。

ただ、これを丁寧に教えてくれる人も、教える必要性を感じる人もいません。だから状況を見て、自ら対応を変えていかなければならないのです。ここで一から丁寧に「教えるべき」というのが中学校の先生としての感覚でしたが、同時に「失敗して学ぶべき」という高校の先生としての感覚を取り戻しつつあります。

 

◯失敗を恐れる人、失敗できない人

こういう事実が至るところに張り巡らされていると、失敗したくない人は当然行動できなくなってしまいます。「今は挨拶してもよいのか?」から「今は挨拶しなくても良いだろう」となり「挨拶が面倒だ」になる。だから挨拶をすることが習慣から抜けてしまい、挨拶のできない人になってしまうのです。(でも中学時代を思い出して、私を見た瞬間中学生ばりの元気の良い挨拶をしてくれる人もいます。周囲はそれを"やたら声が大きい"と表現し、失敗しているかのように扱いますが、私は違和感ゼロで幸せを感じています。)

 

◯依存体質

これは本校の特徴なのかもしれないし、今の中高生の特徴なのかもしれませんが、高校生からは依存性を強く感じます。"依存性"とは、分からない時に自分で考えることなく他人に聞いたり、答えを求めたりするということです。つまり、誰かに(何かに)依存しないと、物事を解決できないのです。

彼らにとってコロナ禍は、目の前の課題を作業化させました。"受験に必要な勉強"ではなく、"先生にやれと言われたからやるもの"として捉えられてしまったのです。当然やる気も、知識も全くなく、無駄に体力と時間が奪われていきました。

 

◯自分で考え、行動する力

そこでまずは勉強の仕方を教えることにしました。もちろん知識も教えますが、その知識へ辿り着く思考過程や索引過程を授業で確認したのです。しかし、彼らの中にはついこの間中学生に教えていた内容すら頭に入っていないことがあったのです。必要な知識の多くは文法です。具体的に言えば、「用言と体言」は中学1年生で習うのに、「主語と主部」も中学1年生で習うのに、全く分かっておらず、そのせいでテキストの解説が"勝手に"暗号化されていたのです。

幸い愛知県立学校にはスタディサプリが導入されたので、積極的にこれを活用することで復習するよう指示をしました。人任せに思えるかもしれませんが、国公立大へ進学したい生徒が何人かいる中で、「用言と体言」の説明はできないのです。このスタディサプリは、自分で行動しなければ学ぶことができないコンテンツです。そういった意味では、今の彼らに必要なものは、暗記のための小テストではなく、学習のきっかけとなる小テストなのだと分かりました。言い換えれば、小テストで点数を取ることを目的とせず、小テストで自身の学習過程の確認や、学び直しの動機付けを目的とする、ということです。

 

◯最後に

これらをまとめると、学校の役割は「知識を与える」「知識の運用方法を教える」というものから、「知識の付け方の選択肢を示す」「知識の活用場面を提供する」というものに変化したということです。「活用場面の提供」は今現在、教材研究中なので、実践が終わったら報告したいと思います。

でも中学校勤務時代に、飽きるほど"テスト直し"を行ったので何とかなる気がします。楽しみにしていてください。それではまた。