♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

AI教師は脅威か?

こんばんは。先程ぼーっとNHKニュースを見ていたら、AI教師のニュースが取り上げられていました。以下の記事はNHKではないですが、その内容です。

 

https://r25.jp/it/00052246/

 

AIは発展を続け、やがて人間はAIに操られる時代がやってくると言われており、危機感を抱く人も少なからずいます。一方この記事を読むと、教師の多忙さを軽減する役割を果たすため、活躍が期待されると述べています。AIがどこまで進化し続けるかは分かりませんが、私たち「人間」教師の役割は、やはり目の前の人のために何ができるかを自分たちも模索し、生徒たちにも考えさせることなのだろうと考えています。

今は近くにいてもスマホで会話をする時代です。それは、10年前に流行った「略語を使って自分たちだけで会話を楽しむ」ような感覚に似たものだと思っていました。しかし、最近では生身の人間と話すことを避ける人が多くなり、昼休みの時間も友達と話さずひたすらスマホゲームをやり続ける生徒も多く見受けられるようになりました。

もし仮に知識的な学習が全てAIに奪われたとしたら、私たち「人間」教師は胸を張って、人との繋がりを大切にしなさいだとか、直接話をたくさん聞いて自分の意見を話して、コミュニケーションを取りなさいと指導できるのでしょうか?これはAIに仕事が奪われなかったとしても問題意識として持ち続けるべきものだと考えます。

人との繋がりの大切さを感じ、伝えられるために、20代から色んな所に顔を出しておこう。そう決意を新たにした瞬間でした。

小説 君の名は。

こんなにも昨年話題になっていたのに、小説はおろか、映画さえ観ていなかったので、小説→映画の順で観ようと思いました。映画は一人で行くのが寂しいので、一緒に行ってくれる人を探しています。映画が間に合わなかったらDVD買います。

内容はネタバレになってしまうので話しませんが、考えたことをお話いたします。普通に生活していて、自分は経験したことがないのに、あたかも経験したことがあるかのような感覚を持つことがあります。例えば、ネクタイを初めて締めたとき、普通の人は息苦しさを感じるのだと言いますが、私は不思議と落ち着きました。また、父親がこどもの頃にこの学校行きたいなと思った大学を、示し合わせもなく受験することになり、父親が驚いたということもありました。

理系の友達には理解されないことですが、全てそこには科学では証明できないような超常現象が起こっているような気がするのです。皆さんはそんな経験ありませんか?

医師のつくった「頭のよさテスト」

同僚の先生からお借りした本です。

とても難しい内容だったので時間がかかってしまいました。

人には認知特性があり、それを把握して活かせる仕事に就いていれば能力が発揮されるという内容でした。6つある特性は①視覚優位者 写真タイプ②視覚優位者 三次元映像タイプ③言語優位者 言語映像タイプ④言語優位者 言語抽象タイプ⑤聴覚優位者 聴覚言語タイプ⑥聴覚優位者 聴覚&音タイプです。

私は診断テストを行なった時に複数当てはまったので、つまらないなぁと思ってしまいましたが、そうではありませんでした。要するに様々な手段で記憶したり頭を使っているということだそうです。例えば、私が10以上の落語を覚える時は、ひたすらエンドレスで聴き続けることで頭の中に何分頃にどんな場面が出てくるかを暗記できた経験もあれば、人と会話したことが5年経った今でも録画のように映像再生できた経験もありました。

ただ、国語科教員として致命的なことがありました。それは文章を目で何度見てもそれがどこに書いてあったかだとか、どんな内容だったかを記憶できないのです。これでは現代文は問題を解けませんね。笑

それでも問題を解けているのは、やはり言葉をすぐに別の形に置き換えて記憶しているのかもしれません。自分のことを理解し切る所まではいけませんでしたが、自分がどんな認知特性があり、どうやったらもっと上手く色んなことをこなせるようになるかをもっと考えてみようかなと思うきっかけとなりました。

2年目

あけましておめでとうございます。

このブログを始めてからちょうど1年になりました。年始に相応しく、どんな1年にしたいかをお話いたします。

昨年は占い師によると、大成の年でした。今までやってきたことが全て身を結ぶ年だということだったようです。

しかし現実には我慢の年でした。思うように自分も周りの人間も動かず苦しい思いばかり感じていました。ただ、去年よりはとか、2、3年前よりはと思いながらやれていたのも事実であったため、成長はしているのかなと思いました。

今年は様々なことが変化していく年にしたいと考えています。住む場所も、働く環境も、今ある人間関係を広げたり深めたりすることもあるのかもしれません。今までやってきたことが今年こそ大成するように頑張ります。今年もよろしくお願いします。

クリスマス会

第2話です。

ボランティア活動に力を入れる生徒たちが挑む今年最後のボランティアが、クリスマス会の運営です。

この活動は、施設側のご厚意で生徒たちが10月の挨拶から数回の施設側との打ち合わせ、当日の運営まで全て自分たちで行なっています。(もちろん頻繁に情報を受け取り、必要があれば職員と連絡を取りますが、表向きには任せっきりです。)

この活動の凄さは、施設側の要望に沿って自分たちのやりたいことをどう実現していくかを徹底的に話し合い、行動に移していることです。レクをやって欲しい、ハンドベルを何曲やって欲しい、何時間やって欲しいなど様々な要望を聞き、今年はどんなことをするか決めていきます。

今日、その本番を迎えました。今まで準備してきたことを全てやり切りましたが、中途半端に時間が余ってしまうシーンがありました。その時、時間を稼ぐものとして彼らが予め手遊びを準備していてそれを披露したのです。また、ハンドベル演奏中にも単に演奏するだけでなく、曲にまつわるエピソードや小噺を混ぜて人々を楽しませたのです。他にも、そもそも利用者のニーズであった高校生との交流も積極的に行なっていました。レクやトイレ休憩など少しの時間を見つけては話しかけていき、多くの人々の笑顔を誘いました。

私は指導者として今日完成形を見たような気分になりました。これぞ理想のボランティア活動なのだと感服せざるを得ませんでした。細かく見ていけば改善すべき点はたくさんありますが、こういう働きができる生徒をこれからもたくさん育てていければなと思います。

災害

今日は2本の話を書いてアップします。アクセス分析を見ると数が増えているため、その人たちの期待に応えるためにもできる限りのことをしたいと思います。

まず1本目は災害です。災害と聞くと、地震による被害、避難生活を想像しがちですが、それだけではありません。例えば台風や局所豪雨による災害や、昨日起きた火災などです。

災害が起きた時には、とりあえず避難所と呼ばれる場所に行って、毛布をもらって食事をもらって、役所が助けてくれることを待つイメージがあります。しかし、現実はそうではありません。確かに毛布が配られることはありますが、ほとんどは自分で用意し、食事も人数分なく、役所も助けてくれません。熊本地震では役所が助けてくれた例があったそうですが、助けていたせいで仮説住宅の建設が遅れてしまったそうです。

仕事柄、生徒たちには明日は我が身だとか、避難所ではあなたたちが動かなければみんなが苦しい思いをするだけだということを伝えています。そして、行動できるように数々のボランティア活動に参加させています。キーワードは「気づき」「考え」「実行する」です。

これからの時代、私たち教師は、教えることよりも気づかせることを中心として育てていくことが求められます。自分には何ができるか?それを「気づき」「考え」「実行」できるように頑張っていきたいと思います。

前半終了です。後半はその実状をお話ししましょう。

産業社会と人間

こんばんは。今日で二学期が終了しました。先程ブログを見たら、私を騙る人物が勝手に投稿していたので訂正版として更新です。

今日のキーワードは「自分は何ものであって、何に向かって、何を学ぶべきか」です。これは総合学科1年生が必ず履修する産業社会と人間の内容を分かりやすく説明したものです。どのような仕事についていても、自分って一体何のために生きているのだろうと深く考えずにひたすら目の前のことをこなしています。それを高校時代に考えようというのが、この言葉の真の意味です。

今日終業式に生徒に語る中で、では自分自身はどうなのか?と考え直しました。自分は元々国語の魅力を伝えたいと思って高校の教員になりました。しかし現実は、国語の魅力はあまり扱えず、自分が使っている言葉の大切さを伝えるレベルにとどまってしまい、思うような授業が出ていません。だから次の学校では、と思っているのですが、現実はそう上手くいかないのだと思います。

それは自分をもし過大評価しようと思ったら、国語に関して他の先生方と比べて秀でたものがないからです。もしも他の先生方に比べて、何か凄いことができれば、国語の世界の第一線で活躍できるのかもしれませんが、まだまだその力は足りません。きっとボランティアや他人の嫌がる仕事を積極的に行う姿勢を評価してくれるのかな…と密かに期待していますが。

自分は社会でどのような存在でありたいか?と社会で自分に対してどのようなことが求められているのか?とに必ず隔たりが出てきます。その時自分はどちらを優先させるのか。そんなことを考えながら2016年を終えようとしている私でした。

今年の更新は今日で最後のつもりですが、心動かされる出来事があればまた更新します。とりあえず、良いお年をお迎えください。