♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

逃げ恥

こんばんは。ついに終わってしまいました『逃げるは恥だが役に立つ』私も恋愛下手なので、共感する部分も多く、私も契約結婚からの本物の結婚を!という意味不明な妄想を膨らませております。

実際の恋愛では、自分に余裕がない時と相手に余裕がない時が重なり、ドラマのように助け合うことができず破綻していくことがどうしても起きてしまって、何とかならないものかと思うことが多くありました。

でも今日のドラマを観て、自分が苦しくても相手のことを考えられるよう自分を強く持とうと決心できました。自分が思っていることを上手く伝えられなくて、やっぱりダメなのかと思うのではなく、それでも諦めずに何度も何度も伝えられるよう頑張って、お互いが本当に幸せになれる形を考え続けていきたいなと思いました。

逃げ恥最終回を観ていて、ドラマの中のみんなが笑顔になっているシーンがありました。残念ながら今までそんな場面に出会えたことはないし、これからもないのかもしれません。でも、みんなが笑顔で幸せになれるように何かしたいなという想いがふつふつと湧き上がってきました。生きる希望を与えてくれた逃げ恥に感謝です。そして、マンガ本とDVDが欲しい。

しかけ その後

本日無事終えることができました。おかしな日本語ですが、期待通り期待を裏切ってくれました。各々がイキイキと自分の想いを語る姿は、私の短い教員人生の中で一番感動的な瞬間でした。ユーチューブにアップしたいほどでした。

今日の日を思い描いて常に努力し続けてきたことを思うと、ある意味では卒業式なのかもしれません。先生という仕事は、こうなってほしいという想いを3年間伝え続け、時に笑い、時に泣き、時に悲しみ、時に怒り、様々な感情を抱く仕事です。そして想いを生徒が行動や成果で表してくれた時、やりがいを感じるのだと実感しました。まだまだ道半ば、立ち止まらず突き進んでいきます。

しかけ

現在同じ職場で最も信頼する先生とゆっくりお話しする機会がありました、前回の役割にも通ずる話で、私の出会う方々は、私の中だけで留めておくのはもったいないと思ったのです。今日も読む方々の小さな気づきが得られたらなと思い、執筆いたします。

その先生の言葉です。

生徒たちがもっと、あいつら楽しそうだなぁ。俺たちはどうすればいいんだ?とか、あいつらすげぇなぁ。俺たちも頑張らなきゃ。という声が上がるように、仕掛けをたくさん作る必要があるんだ。彼らがワクワクするものを、自分たちだけでは作れない。もっともっと、先生たちに働いてもらわないと。先生という仕事は、(もちろん勤務時間は大切だけれど)過剰労働とかそういうことをあまり考えずにやる仕事だと思うからね。

そんな趣旨の話を聞きました。それは私の理想でもある、当日は生徒たちだけで動けるように、放置するのではなく、細かな指導を施して理想とする形を暗に伝えておくことに繋がると思います。そのためにはまず、自分の理想を描き、それが生徒1人ひとりに当てはめて実現可能な形を考える。そしてそれをこっそり伝えたり気づかせたりして動けるように仕掛けておくのです。私は若いのでまだまだ時間がかかりますが。

私が2年目に付いた先生もそんなタイプでした。一見放置しているように見えても、こう指示したら生徒はこういう反応をするから次にこうして…と予測を立て全て計算し尽くされた場面を演じさせていました。また、全てにレールを敷くのではなく、ここからはやらせてみてから考えようという余裕さえありました。

私はこの5年間の集大成を、明日、生徒に託します。彼らにとってみればその瞬間が勝負で、これが3年間の成果だと捉えているに違いありません。しかし、これは私が2年間の経験を踏まえて「しかけ」た5年分の想いです。

上手くいくだけが全てではありませんが、彼らが良い意味でも悪い意味でも裏切ってくれることを期待しています。どう転んでも、それは私への通知表ですから、受け入れざるを得ません。ドキドキ。明日が楽しみです。おやすみなさい。

役割を担い、役割を果たす

役割という言葉って難しいなと思います。役を割るという言葉なのに、平等に割り当てられることなく、期待値の高い人にばかり仕事が集まっているような印象を受けます。平等ではなく、公平だとボランティアの時に教えていることを思い出します。

私はまだ人の上に立つような立場にないため、与えられるのを待つことしかできません。しかしこれからは、役割を担うに相応しい人物を見極める力も必要になってくるのだろうとも思います。自分は、いつかあの人のようにあの役割を担い、見事役割を果たすことができるのだろうかと不安に思ってしまいます。

 

昨日再び大学生に会いました。上手くやっていけるか不安です。と本音を吐露する学生が多く、その1人ひとりに対して、目の前のことを1つひとつやっていけばクリアできるし、誰かが助けてくれるから心配しないでと声をかけました。そう話しながら、やはり自分の不安も、これと同じなのではないか?と思うようになりました。

 

誰かからいただいた役割を全力で担い続け、果たし終えた時、初めて自分は必要とされていたことに気づきます。それはあくまで、自分1人で全ての問題に取り組んでいくのではなく、みんなで取り組んでいく上でのことです。これからも何か負担のかかる、いわゆる面倒な仕事を積極的に担い「お願いができる最初の顔、最後の砦」としての役割を果たしていきたいと思います。

さて、昼ご飯を食べて仕事しますか!

落語研究会

先日は鞄の件で大変ご心配をおかけしました。無事、何の被害もなく解決できました。

さて、今回は落語研究会、通称おちけんについてです。私の出身である愛知大学落語研究会は今年50周年を迎えました。1年生の入りたての頃は4年生が遠い存在のように感じました。しかし、OB幹事会なるものを迎えた時には単純計算で42個上と話す機会があり、これが社会か!と衝撃を受けました。

出身小学校、中学校、高校、大学と、自分の所属が変化していく中で、どこかが同じであると、年齢が全く違ってもどこかで繋がっている気がします。また同時に、いつかはあの人たちの立場になって若い私たちのような後輩を見るのだなと何となく感じたのです。

これから多くの学校で勤務することになり、更に多くの人と、この帰属意識を共有することになります。これらを捨てることなく、大切にしていきたいなと思います。

紛失の歴史

私は幾度となく物をなくしてきました。そのほとんどは大学生の頃である。例えば財布、ケータイ、パソコン、定期券などなど。

今回は鞄ごと紛失という衝撃的な紛失でした。いつかはやると思っていたから、ついにこの時が来たかという気分です。

思い返せばその後、最悪の道を進んだことはありませんでした。

愛知県の教員採用試験を受ける日のこと、私はケータイをポケットに入れて電車に乗りました。鶴舞線から名城線へ乗り換える時も時間を確認するために取り出し、ポケットに戻しました。

大曽根駅で降り、待ち合わせた友達と合流しようとケータイを出そうとしたら、ないじゃありませんか!しかも時間がない。「ま、何とかなるだろう。」と思い、何のアクションも起こさずに出かけました。結果的に手元に戻って来て、しかも合格もいただきました。神の力を信じ、今日は不安な夜を過ごしたいと思います。

落研のことは、また鞄が出てきたら書きます!乞うご期待。

大学生

久々に母校の愛知大学へ行って来ました。教員を目指す学生たちが真剣に模擬授業をし、生徒役に徹していました。それを見て私ももっと教材研究しないとなと思いました。

その中で気づいたことがありました。それは学生が真面目過ぎるということです。私も仕事に対しては真面目過ぎる面を持っています。お前は仕事以外に何かあるのか?と自問自答したこともありました。そんな時に銭湯に行ったり喫茶店で本を読んだりバッティングセンターでひたすら打ったりして自分のプライベートを充実させました。

しかし遊ぶのが専門のはずの大学生は、教員になるためには勉強が必要、模擬授業の経験が必要、現役の先生から学ぶのが必要と思い込んで、そこにしか目がいっていないように思えました。そんなことは現場に入ってから嫌というほどやるのにも関わらず。

私も現役時代は、勉強しておけば良い教員になれると思っていました。でも、勉強はもちろんですが、1番大切なことは人として魅力を持ち、この人の言うことを聞いてみようかなと思わせるだけの経験を積むことだと思います。大学時代散々遊んで、死んだ顔で講義を受けたこと。休日はひたすらアルバイトに打ち込んだこと。サークル棟の屋上で告白して、1ヶ月でフラれたことなど、大学生にしか経験できないことをもっと経験して欲しいなと思います。

それは今の自分の「ゆとり」につながっているのではないかと思います。我々ゆとり世代は、与えられたことをこなすことよりも、自分で考えて必要なことを暗中模索して、実行しようとたくさん努力して来た世代です。そんな経験をしていない今の世代に対しては、私たちにしか言えないメッセージをこれからも発信し続けていきたいと思います。