♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

ゆとり世代

最近、テレビや雑誌で取り上げられている「ゆとり世代」それらのほぼ全てが、マイナスのイメージを膨らませたものであって、正しく捉えられていないように思える。私たちの世代を、私たちの視点で考えてみたい。

ゆとり世代の口癖「どうせ習ってないし」の意味
ゆとり世代がよく口にするという「どうせ習ってないし」という言葉。この言葉を聞くと、上の世代は「また始まった。自分で何とかしようと思わないのか。」と思うだろう。それは、私も同感だ。しかし、ゆとり達は「知らないことを当たり前として育ってきた世代」なので、仕方がないように思う。
例えば、総合的な学習の時間では、自分の知らないことについて深く研究し、考える活動が多く見られた。いわゆる調べ学習だ。その活動を真面目に取り組んだか、テキトーだったかは別にして、ゆとり達は知らないことを「教わる」のではなく、「自ら調べる」機会を多く与えられたのだ。
ただ、それを最後まで見てくれる大人はほとんどいなかった。そのため、自分たちで手探りで調べていった。
今、日本の中枢で働くような人たちは、課題発見、問題解決能力のトレーニングをきちんと行ってきた人で、足りない部分をきちんと捉えて自分で補うことができている。
でも、そうでない人たちは…。結局課題発見もできず、とりあえず自分の興味のあるものだけを調べて終わり。これでは、知らないものにぶち当たったときにも何も行動することができない。

ゆとり世代が活躍する場面とは
ではゆとり達は世の中で必要とされないのかというと、そうではないと思う。いや、必要として欲しい。先述の通り、私たちは、知らないことを当たり前として育ってきた。だから、今まで常識とされてきたことも知らないことがある。その常識を知った時、果たして本当にその常識は大切なことなのかを私たちも上の世代も一緒になって考えることはあるだろうか。
テレビで取り上げられるのは、ゆとり達は非常識だ!で結論づけられることが多いが、本当にそれは熟考の上の結論なのだろうか。私は、その常識に挑むべきだと思う。そして、本当に必要な常識を受け継いでいくべきだと思う。

飲み会は必ず参加すべきという常識
上の世代は、それが当たり前としているが、ゆとり達はそう思っていない。面倒だからだ。では本当に必要なのか。
私は参加すべきと考える。それは、飲み会で、普段聞けない参加者の本音を聞けるからだ。飲み会でも本音を隠す人もいるが、多くの人は本音で語ってくれる。ゆえに飲み会は参加すべきだと思う。
けれども、ゆとりの考え方も大切だ。必ずという言葉には疑問を呈したい。無理に全て参加するのではなく、何に参加して、何に参加すべきではないのか。誰に話すべきか、何を話すべきか考えてから参加を決めるべきではないのか。それをはっきりとさせるまでは全ての会に参加して見極めるべきだと思う。
ん?結局全部参加するのか。私は。

ゆとり世代に関して、前向きな考えをお持ちの方、ぜひお話ししましょう。