♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

落語研究会

先日は鞄の件で大変ご心配をおかけしました。無事、何の被害もなく解決できました。

さて、今回は落語研究会、通称おちけんについてです。私の出身である愛知大学落語研究会は今年50周年を迎えました。1年生の入りたての頃は4年生が遠い存在のように感じました。しかし、OB幹事会なるものを迎えた時には単純計算で42個上と話す機会があり、これが社会か!と衝撃を受けました。

出身小学校、中学校、高校、大学と、自分の所属が変化していく中で、どこかが同じであると、年齢が全く違ってもどこかで繋がっている気がします。また同時に、いつかはあの人たちの立場になって若い私たちのような後輩を見るのだなと何となく感じたのです。

これから多くの学校で勤務することになり、更に多くの人と、この帰属意識を共有することになります。これらを捨てることなく、大切にしていきたいなと思います。

紛失の歴史

私は幾度となく物をなくしてきました。そのほとんどは大学生の頃である。例えば財布、ケータイ、パソコン、定期券などなど。

今回は鞄ごと紛失という衝撃的な紛失でした。いつかはやると思っていたから、ついにこの時が来たかという気分です。

思い返せばその後、最悪の道を進んだことはありませんでした。

愛知県の教員採用試験を受ける日のこと、私はケータイをポケットに入れて電車に乗りました。鶴舞線から名城線へ乗り換える時も時間を確認するために取り出し、ポケットに戻しました。

大曽根駅で降り、待ち合わせた友達と合流しようとケータイを出そうとしたら、ないじゃありませんか!しかも時間がない。「ま、何とかなるだろう。」と思い、何のアクションも起こさずに出かけました。結果的に手元に戻って来て、しかも合格もいただきました。神の力を信じ、今日は不安な夜を過ごしたいと思います。

落研のことは、また鞄が出てきたら書きます!乞うご期待。

大学生

久々に母校の愛知大学へ行って来ました。教員を目指す学生たちが真剣に模擬授業をし、生徒役に徹していました。それを見て私ももっと教材研究しないとなと思いました。

その中で気づいたことがありました。それは学生が真面目過ぎるということです。私も仕事に対しては真面目過ぎる面を持っています。お前は仕事以外に何かあるのか?と自問自答したこともありました。そんな時に銭湯に行ったり喫茶店で本を読んだりバッティングセンターでひたすら打ったりして自分のプライベートを充実させました。

しかし遊ぶのが専門のはずの大学生は、教員になるためには勉強が必要、模擬授業の経験が必要、現役の先生から学ぶのが必要と思い込んで、そこにしか目がいっていないように思えました。そんなことは現場に入ってから嫌というほどやるのにも関わらず。

私も現役時代は、勉強しておけば良い教員になれると思っていました。でも、勉強はもちろんですが、1番大切なことは人として魅力を持ち、この人の言うことを聞いてみようかなと思わせるだけの経験を積むことだと思います。大学時代散々遊んで、死んだ顔で講義を受けたこと。休日はひたすらアルバイトに打ち込んだこと。サークル棟の屋上で告白して、1ヶ月でフラれたことなど、大学生にしか経験できないことをもっと経験して欲しいなと思います。

それは今の自分の「ゆとり」につながっているのではないかと思います。我々ゆとり世代は、与えられたことをこなすことよりも、自分で考えて必要なことを暗中模索して、実行しようとたくさん努力して来た世代です。そんな経験をしていない今の世代に対しては、私たちにしか言えないメッセージをこれからも発信し続けていきたいと思います。

考えるための道具

ブックレビュー?書評です。

今回は『考具』加藤昌治 CCCメディアハウス です。

http://books.rakuten.co.jp/rb/1542771/

 

これからの時代は、どれだけの知識があるかということばかりでなく、どれだけのアイデアが出せるかが大切になってくる時代です。そんな時代のニーズに応える形で登場したのがこの本ではないかと思い、手に取りました。

序盤はアイデアは、出す練習をすれば出てくるようになるというごく当たり前の内容が続き、正直失敗したなと諦めながら読んでいました。ところが中盤からアイデアを出す工夫がたくさん登場しました。

例えば、色を決めて様々なものを挙げていく「カラーバス」、子ども向けの商品開発の時に、実際しゃがみこんで世界を見てみるという「七色いんこ」、3×3の枠の中心にキーワードを書き、周りに自由なワードを入れていく「マンダラート」など様々でした。

全てに共通して言えることは、どんなにくだらないと思ったアイデアも自分で消去せず取っておくということです。私も日々、車を運転しながらアイデアをたくさん生み出していますが、メモせずに終わってしまっています。これからはたくさんのメモを取って、それらのワードを組み合わせて新しい発想を生み出したいと思います。

今思いつきました。今度生徒たちに定期考査作らせることで復習させるというアイデアがです。悪用するとエライことになるかもしれませんが、上手くやれば、生徒たちの新たな視点が養えるかもしれません。また仕事のこと考えてしまいました。プライベートなことを考えなければ!

プライベートで自然に仕事のアイデアが生まれ、プライベートらしいことをしなければと必死に仕事の意識で探す私。まさにワークライフバランスが崩壊していますね。

ダイエット

こんばんは。最近アクセス数が増えているようです。記事が支持されているのか、攻撃の対象とされているのかどちらなのでしょうか。どちらにせよ、読む人が増えている訳ですから期待に応えて今日も更新です。

近頃急激に身体が重くなったので風邪かな?と思っていたら、そうではありませんでした。太ったのです。一時期に比べたら5キロ近く増えたので、ダイエットすることに決めました。

ダイエットを続けるためには、食べ過ぎてしまう習慣と、ダイエットによって得られるメリットを明確にする必要があるそうです。私の場合、人付き合いの延長で食べ過ぎ、体重を減らしても何の得にもならない状況になっていました。そのため、まず食べ過ぎをセーブするためにレコーディングダイエットを始めました。結果少しずつですが、減って来ました。そして体重を減らして何か目標を!と思った矢先、おばぁちゃんの米寿のお祝いが…。

ダイエットって難しいですね。

http://store.shopping.yahoo.co.jp/bookfan/bk-4860638727.html?sc_e=sydr_sspdspro&__ysp=44G+44KT44GM44Gn6Lqr44Gr44Gk44GPIOe2muOBkeOCiw==

 

文化の日

こんばんは。今日も暇だったので更新です。文化の日は由来が考え付かなかったので、観念して調べました。すると、やっぱり由来はありませんでした。

元々日本国憲法の交付日であった今日は、それまでは明治節、つまり明治天皇の誕生日だったと言われています。という言い方よりも、明治節だった日に交付日をあてたという言い方の方が正しいかもしれません。だから、この日に文化の日という由来は全くないという書き方が多く見られました。

果たしてそうでしょうか?

確かにGHQからテキトーに名付けられた祝日という意味では、文化の日に意味がないと思うかもしれません。しかし、今日が文化の日だからこそ、文化を意識するきっかけになったという人がいるのも事実です。何でも後ろ向きに考えるのではなく、一度前向きに考えてみてそれでも疑問を抱くようであれば、声高らかに「おかしい」と主張すべきだと思います。

それで私がしたことは、竜泉寺の湯へ行ったことです。風呂文化は最高でした。そしてエレベーターでの譲り合い、感謝の言葉は、まさに日本文化の優しさを感じた瞬間でした。

日本って本当に良いですね。

先見の明

先見の明がある、という言葉があります。よく「先見の目」と誤って使われることが多い言葉です。

学校で仕事をしていてよく思うのは、優れた先生は、先見の明がある人だということです。それは、単に先を見通す力を持っていて仕事ができるという意味でなく、生徒を見て最適の道が提供できるという意味です。

私が高校3年生の時、担任の先生から「滑り止めの大学はどうするかね?」と聞かれました。そこで何も考えていなかった私は「国語の先生になれるどこですか?」と聞きました。それが、私の出身となった愛知大学でした。その時は、ブランド力や、キャンパスの雰囲気から、地元の教育大の受験を取りやめ、日本海側の国立基幹的総合大学への進学しか頭にありませんでした。そのため第一志望を落ちた時には絶望感に襲われました。

しかし、それを救ってくださったのが、私が絶対に譲れなかった「国語の先生になる」という目標と、そのための道を残してくださった担任の先生の存在でした。担任の先生はそこまで考えて、進路指導をしてくださっていたのです。もしかしたら落ちることも予想していたのではとも思ってしまいます。

今、3年生の担任として進路指導をしています。そこまでのことを考えて指導しようと思っても、全く先が見えず、せいぜい志望理由を書かせて、大学で何を頑張り、将来はどんな力を付けてどんな仕事をしたいかを言葉にするのが精一杯の抵抗です。本当に本人のためになっているのか。それは数年後にならなければ分かりません。もしかしたら、今やっていることが本人にとって間違いの可能性もあります。それでも今できることをやるしかないのです。

先見の明は、やはり経験によってのみ付くのでしょうか?そんな疑問を感じながら、今日も色んな先生に相談しまくるのでした。