♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

【キャリア教育】将来の夢は決まっていないとダメなのか?

◯将来を明確にする派の言い分

●高校生の現状

大学入試で総合型選抜がスタートしました。専門学校は多くが1学期中に出願させていて、10月1日には合格を出そうとしています。でも、大学はこれからが本番です。ですから、3年生たちは、提出すべき書類である志望理由書と、試験内容である小論文に挑もうとしているのです。
今回はこの志望理由を基に、将来の夢は早く決めるべきかどうかについて考えていきたいと思います。


●そもそも中学生の時には?

高校生の話をする前に、中学生の話をしっかりとしておこうと思います。これもまた、これぐらいの時期から面接練習のために、想定問答集が配られ、答えを記入して担任の先生に添削してもらうというものがあります。その中で最も悩むのが「将来の夢」です。


●中学生の答えは、「夢は見つかっていない」で良い

彼らの進学先は高校ですから、将来の夢が何であっても問題ありません。だから、夢が見つかっていなかったとしても大学進学を目指して努力したい、部活動に力を入れて取り組みたい、でお茶を濁すことができるのです。


●高校生の場合

一方、高校生の場合は、進路選択により、就ける職業が限られてきます。例えば、文学部へ進学した学生が建築士を目指すことはできないし、健康栄養学科の学生が目指す先は管理栄養士(に関連する職業)しかないのです。学部によりそのは幅は異なりますが、やっぱり選択肢が狭まることは否定できません。


●よって高校生は、将来の夢を決めるべき…?

だから先生達は、1年生の時から将来の夢を明確にし、学部学科を決定し、そのために学習に取り組めるようサポートしていくのです。以上、結論です。



◯将来の夢は何のためにあるか?

●これはキャリア教育か?

これまで述べてきたことは、一般的に考えられる進路指導です。でも、職業を決めることは、キャリア教育とは言えません。キャリアとは、その人の人生設計そのものですから、どんな仕事に就くかということは大事ですが、ゴールではないのです。この点を踏まえて、もう一度先ほどの問題を振り返りましょう。


●将来の夢ってないとダメですか?

現状をお話すると、彼らは志望理由書を書くにあたり、将来の夢がないと書けないことに気づきます。先日も生徒から「先生、将来の夢を大学で見つけるじゃダメですか?」と聞かれました。
そんな単純な話ではないのだけれど、と思いましたが、ここのところをうまく説明できなかったのです。


●将来の夢を「決める」のではなく「仮定する」

ある大学の中国語系学部へ進学を目指す生徒がいました。その生徒は、将来の夢が明確でなかったため、初めはこんな書き方でした。


私が中国に興味を持ったきっかけは家族で行った海外旅行です。(中略)これからは中国が更に影響力のある国となるため、中国語を学んでおきたい。

この文を見ると、なぜ中国なの?中国語を学んで何がしたいの?と疑問がいくつも出てきます。そこで本人と面談しながら、将来の夢を仮定することに決めました。話していく中で、接客、つまり人にサービスを提供する職業ならば将来像として想像できることが判明しました。これらを踏まえて新たに文を加えました。

空港グランドスタッフとして日本へ観光に訪れる中国人に対してサービスを提供したい。

もちろんここから更に手は加えていますが、先ほどよりもより明確に進学の意志が伝わるのです。


◯将来の夢は変化する

●志望理由で大切な部分は、職業名ではない

ここまでを読んでいただければ、将来の夢を仮にでも持っておくと説得力が増すよ、ということは伝わったかと思います。でも時々勘違いされる人がいます。
「この仕事に就いたことを想像してごらん。どういうことができるよ。」と職業名を優先して将来の夢を仮定してしまうことです。
私が言いたいのは、本人のやりがいを感じること、興味を持っていること、できることを分析した結果、どんな職業ならば"説明しやすいか"に過ぎないですから、やみくもに職業調べをしても意味がないのです。


●自分の核となる部分は何か?

私が大失敗したことの1つに、「先生になるために大学を選んでいた」ということがありました。(以前もお話ししました。)でもその頃の私の核となる部分は、

①自分の持っている知識を伝えたい
②日本語、日本史に興味がある
③毎日こつこつ取り組むことができる

でした。これって今ここに書いているブログだなって今更気づくわけです。でも当時の自分は、伝える→先生、日本語や日本史→国語か社会、毎日→先生は毎日やる仕事。のようにしか捉えていなかったのだと思います。
そして、ここで教育学部に進めなかったのがとてもラッキーでした。それは、②の部分がはっきりとしていなかったからです。大学文学部へ進学して1年次の講義を聞く中で、日本語の誤用や語源について興味が出てきたし、縁あって落語研究会に所属してから話術を手に入れることもできました。教育学部一辺倒で考えていた私にとっては考えられない未来でした。


●自分は何がしたいのか?を常に問いかける

先生になってからも毎年いろんな仕事を任されて、その度に将来の夢が変化しています。今私はこうやってブログを更新することにやりがいを感じています。今30歳で書いている内容が、数年後に本になって世に出ることもあるだろうし、自分の持っていた感覚を思い出すアルバムのような存在にもなるだろうと思います。大切なのは今、日々考えていることを発信して、常に自分自身に問いかけることです。今は自分1人で発信することしかできていませんが、つながりを持っていろんな先生がいろんな視点から情報発信ができれば良いなと思います。


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