♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

【キャリア教育】「英語」が得意なら英語学科、で良いのか?

※この文章は2300字近くあります。

 

先日面談をしている時に、英語学科への進学を目指すのを保留にしたという出来事がありました。将来の夢が具体的でない分、大学で選択肢が狭くなるような進路選択はさせたくないので、ここで今一度検証してみようと思います。

 

●英語が得意だから将来は◯◯

英語が得意だから大学でも英語を学びたい。とても明確な理由ですが、本当にこれを模範解答として良いのか疑問が残ります。

※これから話す内容は、英語学科を否定する意図もないし、英語を学ぶこと自体に反対する訳ではないので、そこは勘違いしないようにお願いします。

英語を専門に学んだ後、その生徒の強みは「英語」になります。だから就職試験では、英語ができる学生という見方で捉えられます。ここまでは誰もが考えるところですが、ここからが大切です。

 

"さらに"何を専門に学んできたのか?と聞かれた時、どんな答えをするか。

 

英語が得意な生徒にとって、ここが見えているかどうかが進路の分かれ目になってきます。もし、そこまで見据えて大学生活を送っていたならば、「私は英語を使ってこんなことができます」とか、「私は英語の他にこんなことも学んできました」とアピールできます。

一方で、そこまで見据えていなければ、「私って英語しかやってこなかったのかな?」と自分に自信がもてなくなるのです。

 

●私が受験に失敗して手に入れた成功

私は元々先生になりたかったので、教育学部を目指していました。第一志望大学の受験に失敗し、押さえとして受験していた大学の文学部へ進学を決めました。自分にとっては当時大きな失敗のように思えたのですが、ここで大きな強みを手に入れることができました。「日本語学」です。

もし先生になるために教育学部へ進学していたら、一応国語を専門に学んでいたのだろうと思いますが、それらは指導法や教材研究という域を超えて学べていなかったように思います。(そんなことないのかもしれませんが)

しかし文学部へ進学したことで、人文社会学というさまざまな文系科目の研究分野に触れ、国語の中でも日本文学でなく、日本語学の、現代日本語の一人称代名詞について研究分野を絞り、学ぶことができたのです。

たまたま落語研究会へ所属していたこともあり、古典芸能について研究することもできました。江戸時代のお話を現代に再現するにあたり、古典を現代でどのように扱っているのか。日本語学の観点から研究でき、この学びが今の国語教師としての人生に大きく役立っています。

 

●選択肢を狭くしない大学選び

以上のことから、その生徒の、英語学科の選択を保留としました。県内の大学を見てみると、英語に強い大学で経営学や接客のホスピタリティを学ぶような学部学科を設けるところもあれば、反対に経済経営学に強い大学で英語系の学科を設けているところもありました。これらをまず知ることが第一歩です。あとは、カリキュラムや取得できる資格、就職先を見て、選択肢が広く、自分の離脱ポイントが少ないところを選んでいこうという話になりました。

 

●離脱ポイントとは

大学で学んでいくと、こんなはずじゃなかったと思う点が出てくることが予想されます。

実は私自身国語教師になるために文学を専門にしていこうと思っていました。でも興味のない文学を読み進めることへの抵抗感が拭い去れず、国語教師に向いていないのではと思うことがありました。でも、そこには日本語学という自分の興味のある分野が残され、そこから高校教師になっている先輩方も多くいたのです。(ゼミ担当の先生から聞いて初めて知ったのですが。)

だから今のうちに、コケるとしたらここかなというものがもしあるとするなら、事前に調べておけるとよいかもしれません。この話題に出した生徒は、留学に対してあまり前向きではないということが分かっているので、下手に留学必須のところへ行ってしまうと大変なことになるかもしれません。

 

●これからの時代で大切にしたい職業観

最後に、この時代における仕事の考え方について話をして終わろうと思います。

今までは終身雇用でしたが、少し前から非正規雇用が増えたり転職が増えたりして、仕事に対する価値観が変化してきていることは間違いありません。それゆえ、せっかく苦労して進路指導しても、すぐに大学を辞めたり転職したりして「自分の指導は意味ないじゃん!」と思っていました。

でも、違いました。

初任校で教えていた"キャリア"の定義は、

 

「どのような仕事に就くか」ではなく、「仕事を通してどのような人生を送りたいか」

 

つまり、我々教師のすべきことは、仕事を選ばせることではなく、生き方を考えるきっかけを与えて考えさせることこそ"キャリア"だったのです。

このことを踏まえて、途中で夢破れた教え子たちを見つめ直すと、やりがいとして持っていた「裏で支える」「自分にしかできないものを作る」という根本的な部分を失わず、転職や転学をしていました。目的のない進路変更ではなかったのです。(中にはそうでない教え子もいますが、それは仕方のないことです。)

最初から根本が見つかれば良いですが、それはほぼ不可能です。だから、働くまでにたくさんの専門の卵を持っておくのもよし、働いて専門を作って極めていくのもよし、専門を作った上で別の仕事にチャレンジするのもよしなのです。

かくいう私のブログも次に向かうための準備ですから、これからも日々専門性を磨いていきたいと思います。

 

もし「こんな進路指導あるよ」というものがあればぜひ教えてください。みんなで知識を共有していくことがより良い答えにつながりますので。よろしくお願いします。

長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

令和2年7月第1週 キャリア教育その1