おはようございます。今日は母の日ですね。あとでLINEで感謝を伝えられればと思います。昨日は意識について話をしましたが、今日は距離感について考えたいと思います。
5月6日付岐阜新聞では、紙面を少し話して見ると「離れていても心はひとつ」という文字が浮かび上がる広告が掲載され、話題となりました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200508-00000002-withnews-sci
大切なことを少し距離を置いて見る大切さを説いた粋な広告だと自分も感じました。
距離を置いて見る大切さとして連想するものと言えば、室生犀星の「故郷は遠きにありて思ふもの」もあります。
小景異情(その二)
ふるさとは遠きにありて思ふもの
(故郷は遠くにいて思うもの)
そして悲しくうたふもの
(そして悲しく詠うもの)
よしや
(たとえ)
うらぶれて異土の乞食となるとても
(落ちぶれてよその土地で乞食となるとしても)
帰るところにあるまじや
(故郷は帰る所ではないだろうなあ)
ひとり都のゆふぐれに
(1人で都の夕暮れに)
ふるさとおもひ涙ぐむ
(故郷を想って涙ぐむ)
そのこころもて
(その心をもって)
遠きみやこにかへらばや
(遠い都に帰ろう)
遠きみやこにかへらばや
(遠い都に帰ろう)
これは、作者が地元金沢から東京へ帰る時に詠んだものです。実際に故郷へ帰ってみても自分には居場所がなく、受け入れてもらえない環境だと感じたため、都へ帰ろうと決意したと歌だと解釈されています。
私もよく分かります。ふと実家に帰っても、どこかお客さんのような気分で落ち着かないとか、拒否されているわけではないけれど、心の距離を感じるとか。まるで幼い頃の記憶を辿ろうとして風景が変わってしまっていた時の淋しさのような感覚なのかもしれません。
でも故郷を「捨てろ」ではなく「遠きにありて思ふもの」としているのは、大切なものとの距離感を保つことで失わないようにしているのだと思います。中高生の皆さんにとっては、毎日つながっていることが大切な人との心地よい距離感なのかもしれません。でも大人になると、頻度は違えど"定期的に"連絡が取り合えることが大切な人との心地よい距離感だと思えるようになってくるのです。距離感って難しいですね。
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