♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

自主性とは何か

まず、大前提として、現勤務校の批判をする意図は全くなく、これから先生として何ができるかを考えた出来事を伝える意図でこの文章を書いているということを頭に入れて読んでください。これは高校全体の問題だと思うので。

今日は入学式準備でした。新転任者は役割が入っていなかったので、体育館の椅子並べを手伝いに行きました。するとどうでしょう。固まってサボっている集団と一生懸命に働く集団がいるではありませんか。それに対して叱る先生もいません。なぜなら、高校とは「自主性」を盾にして、気づきを待つ姿勢で指導にあたるからです。そして高校生も次何をやるか聞きに来ません。指示待ち人間にならないために「自主性」をつけるよう言われ、聞いてはいけないという雰囲気があるからです。中学校ならバリバリ叱ってどんどん指示出して動かすのに。そんな忸怩たる思いを胸にやり過ごしました。

もしもあなたが中学生や高校生ならば、そんなの先生が前のやり方でやればいいじゃんと思うかもしれません。でも、それは簡単ではありません。自分の感覚がこの学校にとって必要なこともあるし、逆に自分の感覚が現状と乖離していて邪魔になることだってあるからです。だから中学校の感覚をもって、現状を変えるために自分に何ができるかを考えました。

私の勤務校に関わらず、どの学校の高校生も「自主性」が足りないと評価されます。その理由は2つあります。1つは、やるべきことが分かっていないから。完成形が想像できていないから。つまり、やらされているということです。単に指示されるがまま、受身で物事を聞いていては動けません。だから我々先生が、作業の初めにビジョンを示したり、具体的な作業内容を想像させたりすることが大切です。中学生には事細かに指示する必要がありますが、高校生は想像さえできれば動けます。その部分をこちらが事前に準備しておくべきだと感じました。

もう1つは、役立とうという気持ちがないからです。誰かがやってくれる、すなわち他力本願です。自分がやらなければという気持ちは、日頃から意識できていないと、もてません。自分の働きによって誰かを幸せにしようという心がけは、社会人として働く意識や大人として当然の考え方です。ただこの部分は中学生も高校生もできていません。だから、普段からこの考え方を何度も何度も言って、もてるよう意識するのです。これさえできれば、どんな仕事でも役に立ちます。後半については、これからもブログを書く中で常に考えていこうと思います。