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先見の明

先見の明がある、という言葉があります。よく「先見の目」と誤って使われることが多い言葉です。

学校で仕事をしていてよく思うのは、優れた先生は、先見の明がある人だということです。それは、単に先を見通す力を持っていて仕事ができるという意味でなく、生徒を見て最適の道が提供できるという意味です。

私が高校3年生の時、担任の先生から「滑り止めの大学はどうするかね?」と聞かれました。そこで何も考えていなかった私は「国語の先生になれるどこですか?」と聞きました。それが、私の出身となった愛知大学でした。その時は、ブランド力や、キャンパスの雰囲気から、地元の教育大の受験を取りやめ、日本海側の国立基幹的総合大学への進学しか頭にありませんでした。そのため第一志望を落ちた時には絶望感に襲われました。

しかし、それを救ってくださったのが、私が絶対に譲れなかった「国語の先生になる」という目標と、そのための道を残してくださった担任の先生の存在でした。担任の先生はそこまで考えて、進路指導をしてくださっていたのです。もしかしたら落ちることも予想していたのではとも思ってしまいます。

今、3年生の担任として進路指導をしています。そこまでのことを考えて指導しようと思っても、全く先が見えず、せいぜい志望理由を書かせて、大学で何を頑張り、将来はどんな力を付けてどんな仕事をしたいかを言葉にするのが精一杯の抵抗です。本当に本人のためになっているのか。それは数年後にならなければ分かりません。もしかしたら、今やっていることが本人にとって間違いの可能性もあります。それでも今できることをやるしかないのです。

先見の明は、やはり経験によってのみ付くのでしょうか?そんな疑問を感じながら、今日も色んな先生に相談しまくるのでした。