♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

自覚、意識

道徳の時間に、クラスの問題点を話し合わせた後の一場面です。

 

みんなから出た、自覚、意識、これが足りない。私もそう思います。なぜ自覚をもてないのか、意識が高まらないのか答えを言います。これは答えがあります。それは、自覚や意識がなくても何とかなるからです。自分がもたなくても誰かが何とかしてくれるからです。

人間は昨日の自分と同じように今日を生きようとします。それは、昨日と同じならば安全に1日が暮らせるからです。もし昨日と違うことをしたら、死ぬかもしれない。だから変化したがらないんです。

 

じゃあ変わるのはやめよう、そう思うのは当然だ、で終わっていいの?あなたたちには中学3年生はこの瞬間しかないんだよ。僕は担任としては何度も経験できる可能性はあるかもしれないけど、自分の中学3年生には一生戻れない。それが分かっていて、何も変わらなくていいの?もちろん全員が変わることは無理だって分かってる。でも、変わろうと努力することが大事なんじゃない?

そういう人が増えてきたら、きっとこのクラスの雰囲気は良くなる。私はそう思います。この後の6時間目、明日以降の体育祭練習に今日考えたことをつなげてもらえたらと思います。

 

平成29年9月21日5限道徳 徳目:集団生活の向上

JRCのHR連絡会をやってみました。

愛の叱り

今日は道徳の時間に、叱られた時に謙虚に受け入れる大切さを考えてもらいました。叱ることの意味は、相手に成長して欲しい、よくなって欲しいという思いだという意見から更に発展させ、相手のことが好きだから叱るのだという結論までじっくり考えさせました。その時に話した最後の場面を今日は紹介します。

 

 

今日は叱ることについて扱いました。そして愛レベルの叱りは、相手のことが好きだから叱るという話をしました。愛と聞いたらどんなことを思い浮かべますか?まずは親子愛ですね。親が叱るのは、自分たちのことを愛してくれているからですよね。嫌われてもいい、私は好きだからっていう気持ちです。今日はイライラするから叱ってやろう、そんな気持ちは…そんな日もあるかもしれませんが、ありません。

そして、男女の愛ですね。あなたたちはきっとこれから愛することを経験していきます。でも相手に気に入られたいと思って何でも言うことを聞くのは、愛ではありません。大切なことは、自分の思いを、嫌われることを恐れずに伝えること。大好きだからこそ言うんだ、言ってくれるんだということがお互いに感じられる存在。それが愛する人なのだと思います。だから、叱られた時にはよく考えて、叱る時にも遠慮はしないで。そうすればきっと良い愛のかたちができるはずですよ。

 

平成29年9月7日 道徳の授業にて。

背番号発表(再掲)

内容が白紙でアップされていたので、もう一度初めから書きます。

 

レギュラーに選ばれた1年生と、レギュラーに選ばれなかった2年生を前に。

 

まず初めに、ごめんなさい。これは、選べなくてごめんなさいではなく、選ぶまでに成長させられなかった私の力不足に対するごめんなさいです。

私は中学校3年間、野球部でしたが、毎日ボール拾いばかりで、バットすら握らせてもらえませんでした。今でもあの監督を恨んでいます。だから、レギュラーになれない辛さは、誰よりもよく分かっています。

だから2年生を優先して出したい。そう思って今まで見てきました。でもこの間の試合での負け方を見て、このチームが一番良い雰囲気でやれるのは1年生の方だと考えました。

そりゃあんたたちを出したいよ。人一倍声を出して盛り上げようとしてくれる2年生は積極的に試合に出てもらいたい。個人で見ればそうなんだけど、全体になるとミスした時に暗くなったり引きずったりで、試合に出す覚悟が私になかったんです。だからごめんなさい。本当にごめん。

それからこの話を1年生にも聞いてもらっているのは、そんな悩みの中でもあなたたちを選んだということを分かって欲しいからです。きっと出るのが当たり前のメンバーにはこの思いは分かってもらえない。分かってもらえるように努力はするけれど、やっぱり分かりきってもらうのは難しいと思います。だから1年生のあなたたちには、分かって欲しかった。それだけです。

もちろんこれでメンバーは確定ではありません。キャプテンはレギュラーを固定するつもりだと思いますが、私はそうは思いません。チャンスがあれば誰でもと思っています。試合の直前まで全力でアピールしてください。

 

平成29年9月6日

授業とは、ライブである。

私が中学校に赴任してから、初めて言われた言葉、それは「先生の授業ってライブみたいですね。」だった。

国語の時間は、いつもワクワクして、時には盛り上がり、時にはしっとりと考えを深めていく、そんなイメージからなのだろう。

あれから4ヶ月。今日、衝撃的な出会いを果たした。

 

今日は5年経験者研修。大学時代の友人とも再開を果たすも、高等学校で研修をやってきた私には全てが新鮮だった。今回の課題のテーマが「読むこと」であった理由として学力学習状況調査が取り上げられた。学力学習状況調査とは、小学校6年生と中学校3年生を対象に実施しているもので、国語にはA(知識、基礎基本)、B(活用、応用)がある。この中で近年、B分野の、情報収集をしたり、根拠を基に答えを導き出す「読解力」が課題として挙がっているそうなのだ。ではこの力をどうつけていけばよいのか?そのヒントとなる講義、演習を受講できた。

 

衝撃を与えたその先生が初めに言った言葉、それがこの文章の最初に扱ったことと全く一緒のことだった。

「私は授業を、ライブだと思っています。全員が盛り上がれる授業を目指して色んな小道具を準備しているのです。」

そう言って、袋の中からピコピコハンマー、大仏のお面、馬の被り物などを取り出し紹介してくださった。なかなか面白そうな先生だなと思った。

その後の研究討議。同僚の先生方から、教科書以外に作品理解に絵本、心情理解に心情曲線、人間関係をマップに書き起こすなどの工夫が出され、なるほど!と驚きの連続であった。同時に、教科書を基に、話術で勝負していた私は恥ずかしくなってしまった。私も「お笑い」の要素を取り入れているが、そんなものは工夫にならないなと反省した。

その先生は次にこんな話をされた。

「子どもから《国語は答えがないからつまらない》という声を聞いたことがありますが、それを言わせず、国語にははっきりとした答えがあるよ!ということを教えなければならないのです。その教えも、先生の言葉で語ってしまったら、子どもからしたらこんなにつまらないことはないと思ってしまいます。だから、それを子どもに言わせて、つまらないと言う子たちに対して子どもから説得させることが必要なのですよ。」

国語は感覚ではなく、筋道立てて読む必要があることを、生徒から生徒に伝えさせる。こんなに難しく、こんなに理想的な形があるのかとまた衝撃を受けました。

更に、こんな話もありました。

「私の授業は、戦う話し合いをします。戦うからには勝たなければなりません。勝つためには、説得力が必要です。例えば、この物語のクライマックス(一番の盛り上がり)はどこ?という発問をします。これを全員に考えさせるために、4人のグループを作って、4人でそれぞれの説を戦わせます。できる子たちは雄弁に説得できますが、できない子たちはそれができません。そこで、できない子たちはこの子たちの説得から納得できるものを選んで自分の意見にしてもらいます。最終的には説を絞るために、違うと思うものを選んで少数派を潰していきます。これが戦いです。」

この話を聞いていると、少数派の子たちが自信をなくしてしまうのではないかと心配をしてしまう。でも、実はこの少数派が正しい答えであることも多々あり、子どもたちはそれも含めて楽しんでくれるとのこと。この戦う話し合いを聞いた時、元小学校校長の斎藤喜博先生の活動を思い出した。

例えば、「出口論争」である。国語の教科書の一文に「あきおさんとみよ子さんはやっと森の出口に来ました」とあり、この「森の出口」というのは一体どこにあるのかという発問がなされた。子どもたちの討論では、森とそうでないところの境目が出口だと解釈に落ちついた。しかしそれに対して斎藤は、「そんなところは出口ではない」と真っ向から否定して新たな説を持ち出して説得したという。これは私がやりたかった授業の1つとして、5年前からずっと思い続けてきた方法であったため、早速2学期から活用しようと考えた。

他にもたくさんの名言を残して先生は去っていかれた。その後も「話すこと」「聞くこと」の分野でも講義があったが、あの先生の衝撃に勝るものはなかった。さてあと2週間で何ができるのか。ひたすら自問自答の日々が続きそうである。

 

先生、私たちでやります。

最近、部活動を見ていて、顧問である私が邪魔だと考えてか、題名のようなことを言うことがあります。ここで怒れば良いのですが、確かに自分が指導して彼女たちの力が伸びるとも思わないので、そうかと言って素直に引き下がります。ただ、ここに私の信念がしっかりと貫かれているなと改めて感じたのです。下記は2016年3月2日の投稿です。

 

仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男が懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いてしまった。

この話は、大村はま先生の『教えるということ』で取り上げられている奥田先生から教えられた話です。
ここでは、男が自分の力でついに大きな壁を乗り越えたと勘違いしたことに重点を置きます。もしこれが、仏様の力だと分かったら、仏様に対する信仰心はあつくなるものの、自分の能力は高まりません。その点、仏様の力とは知らずに成功を収めた彼は大きな成長を感じたのでした。
これは教育に大きく関わってきます。何何先生のおかげで、とか先生がいたからこそみたいな言葉をかけられると教師冥利につきるなと思います。でもそれは、もしかしたら思い上がりなのではないか。卒業してから5年後、10年後、初めて先生の思いが分かったり、最後まで分からなかったりするのが理想なのではないかと思うようになりました。
本音は感謝されたいですけどね。

 

今の部活動に話を戻すと、彼女たちにはこうなってほしいという思いをもって指導にあたっています。それは、①自分の考えをもて。②練習は人から与えられるのではなく、自分で必要だと思うことをやれ。③与えられた環境を上手く使え。です。この3つの思いを基に、題名の生徒の言葉を思い返すと、彼女たちとしては単に「顧問は指導者としては使えない。自分たちでやるしかない。」と考えているのかもしれませんが、無意識にしっかりと私の考えている方向に進んでくれているなと思うのです。

私は前面に立って、俺についてこい、俺の言うことを聞け、という指導はしたくありません。それは、生徒たちの考える力を奪うことになると思うからです。だから私の教育は間違っていない。そう思っているのです。

ただ、後悔もしています。もしかしたら自分の思いをもっと伝えられるようにした方が良いのではないか。その方が間違った方向に進んだ時、しっかりと道標になってあげられるのではないか。そう思って彼女たちを集めて話をしても、やはり心はこちらに向いていません。制御不能。私は間違っているのだろうかとやっぱり不安になってしまうのでした。

ボランティアで大切なことは?

先週のこと。昨年度までお世話になっていた青少年赤十字リーダーシップトレーニングセンター(JRCLTC)に、完全プライベートで参加させてもらっていました。久々の高校生相手に気合いが入りました。

LTCでボランティア企画力を養うVS(ボランタリーサービス)活動では、参加者全員が気持ちよく生活できるよう小さなボランティアを企画する活動です。例えば、食事の座席を意図的に変えていろいろな人と話をするとか、お風呂が混雑するから時間帯を分けた方がいいとかいう提案です。

ある日、この食事とお風呂のVSが上手く噛み合わず、食事の終了時間が遅れ、お風呂に入る時間が減ってしまう事態が発生したのです。その日最後のプログラムではこの事態に対して、ニーズがきちんと考えられていたのか?この活動によって逆にありがた迷惑になる人は出なかったか?ということや、そもそもこの活動にニーズはあったのか?という話も出ました。

ボランティアで大切なことは、普通の人なら、どれだけ取り組んだか、どんなすごい活動をしたのかに注目しがちです。しかし、実はそれよりも大切なことがあります。それは、様々な人の立場に立ってニーズを正確に捉えることです。

例えば、ハンドベル演奏のボランティアをする時に、予定よりも時間が押してしまう場合があります。この時、予定通り演奏を続けて時間をオーバーするのか、それとも時間きっちり終わるようにカットするのかを考えます。この曲を聴くためにここへ来たという人の立場で考えるならばカットはあり得ないと思うのですが、この後予定がある人にとっては時間オーバーがあり得ないと思います。それぞれの立場を踏まえて、自分がどう行動するのかが非常に重要になってくるのです。

私が思うに、今の中高生に足りないのは「臨機応変さ」です。仕事に就いても続けられない。自分を中心に置いて、目の前の面倒なことは避ける。これらの傾向は、成功できる型を教えるのみで、その場に応じて型を直したり作り変えたりする機会を与えられていないことが原因だと考えます。中学校では、型を与えてその通りにやることのみで終わってしまう。高校では、中学校までできていた人がそのまま引き続きやるか、先生から与えられた型通りにやってその場をしのいでいくのです。この現状をどうすべきか。やはりボランティアのもつ教育力も、価値も、もっと幅広く知ってもらう必要があるようです。

もし中学校ソフト部顧問が「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を読んだら

ソフトボール部の顧問として働き始めて4ヶ月。3年生が引退して新しいチームが発足した。しかし、急にノックが上手くなるわけでもなく、専門的な知識が急増するわけもなく、日々苦しさを感じているのが現状です。

現状を打破するためには、部活動に携わろうとする方々の強みを活かす仕組みづくりと、生徒たちの自主性を具現化するマネジメントだと考えました。それゆえ、この本を手に取ったのです。やはり、自分の考えは間違っていませんでした。

この本で最も印象に残った内容は「野球には、感動を求めている」ということでした。この部活動を頑張る理由は、応援してくれる人が感動してもらうためであり、自分たちもその感動を味わえるため。それを実現するためには何が必要なのかを考え、実行に移していく主人公の姿に力強さを感じました。

自分だったらソフト部に何を求めるのか。優秀な成績を残しても何か腑に落ちない。生徒たちの楽しそうな姿を見て気持ちが高まっても、どこかしっくりこない部分があります。私の中の答えはまだまだ見つかりそうにありません。