♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

ちょっと今から仕事やめてくる

本のタイトルです。今の仕事を辞めようと思っているわけではないのでご心配なく。

ネタバレはしたくないので、感じたことを書いておこうと思います。今の仕事には段々順応してきて、精神的な辛さはだいぶ無くなってきましたが、一時期は本当に毎日が辛くて辛くて仕方ありませんでした。周りの人がみんな敵に見えて、自分1人で頑張らなければと思う気持ちが強くなればなるほど逃げられなくなっていく。その状況に主人公も陥っていて、読んでいても苦しさを感じるほどでした。幸い、私が信頼する方に助けていただいたので問題ありませんでしたが、やはりそうでない場合には「逃げ道を作っておくべき」なのだと思いました。

世間一般に言われていることができなければ不幸だ、可哀想だと思い込んでしまいますが、実は自分が納得できる人生ならばどのような形でも良いのだなということを再認識しました。やぁ〜小説って、ほんとにいいもんですね。

お掃除のおはなし

こんにちは。今日は時間にゆとりがあったので、時間休→献血→喫茶店→バッティングセンターのルーティンです。喫茶店で読み終えた本のタイトルは

『ぞうきん1枚で人生が輝くそうじ力』著:船越耕太

です。この本は、人生が澱んでいた時にたまたま目についた本で、清掃指導の参考になるかなと思って購入しました。しかし、内容を見て愕然としました。

 

「見えないところをそうじすることは、自分の人生のなかでフタをした場所の感情に触れるということ」

 

掃除は、綺麗になった空間を見て達成感を得るもの、だから大切だと思い込んでいました。でも大切なことは、掃除を通して自分と向き合うことだというのです。

掃除をやっていて嬉しかったことは、周りが綺麗になったという事実と、他人から褒められたという体験ではありませんか?私はこの2つのみです。しかし、他人のために掃除を続けることはとても辛いことだと筆者は言います。それは自分の気持ちを押し殺すことで、自分は何のためにこんなことをやっているのだろうと否定的な感情ばかり出てきてしまうからです。だから、自分が避けていたことに向き合うことで、周りも自分と向き合ってくれるという「鏡の法則」の考え方にはとても共感しました。

上手くいかないときこそ、自分を見つめ直す。その方法の1つとして掃除を提唱するこの本。なかなか貴重な体験でした。私ももう一度自分に向き合ってみたいと思います。

運動部について

今回読んだ本は『運動部活動の教育学入門 歴史とのダイアローグ』著:神谷拓 です。例によって、教頭先生の推薦図書です。

この著書では、部活動は必須クラブが形を変えたものという歴史的な背景と、部活動が目的とするものは何かが書かれていました。もともと、この活動は「自主的かつ主体的に取り組むものであり、全員が参加できるもの」とされていました。そのため、どれだけ強いかを確かめることに重きを置かず、中高生の全国大会も禁止されていました。しかし、海外での大会、特にオリンピックでの惨敗を機に、早くからのエリート養成が求められ、勝利至上主義を良しとする考えが広まってきたと言います。

昨今、中高生たちの活躍がテレビで頻繁に報道されていますが、それは幼い頃から全国の場で戦ってきた賜物であって、世界の場でも堂々と戦う姿を見ると、この勝利至上主義は全てが間違っているとは思いません。けれども、一般の中高生にあてはめるとどうでしょうか。1年生のうちから実力を認められて、腕を磨く生徒もいれば、せっかく部活動に入ったのに試合に出られず引退を迎える生徒もいるはずです。これではやる気も削がれるし、そもそもの「全員参加」が蔑ろになっています。ここが問題なのだと著者は言います。

私はこの本を読んで、やはり勝利至上主義に走らず、自分たちに足りない考え方は何か、力は何かをしっかり考えさせて自分たちで行動させる仕組み作りが必要だと感じました。特に私が今指導するソフトボールは、俺についてこい、言う通りにやれば上手くなると考えている指導者が多いように思います。だからこそ私は上からものを言うことなく(言おうと思っても言えませんが)、生徒たちが自分たちで決定できるよう、マネージャーのような立場で部を運営したいと考えます。

最後に、ある方からの一言です。「あなたはソフトボール『を』教えるの?ソフトボール『で』教えるの?」私がやりたいことは、どうやら後者のようです。

やる気はどこから来るのか

今日の話題は、選択理論です。人は必ず、基本的欲求を5種類もち、それらをバランスよく満たしたいと考えています。それは、①生存の欲求(食べたい、飲みたい、寝たい)②愛・所属の欲求(仲間の一員でありたい)③力(承認)の欲求(認められたい、人の役に立ちたい)④自由の欲求(自分のことは自分で決めたい)⑤楽しみの欲求(楽しみたい)です。

似たような考え方にマズロー欲求階層説があります。この説と異なる点は、欲求に段階はなく、人によってどの欲求を強く求めるかが違うということです。つまり、人のやる気はこの基本的欲求を満たそうとすることから生まれると言えます。

この理論を提唱したアメリカの精神科医ウィリアム・グラッサー博士は、人を外側から変えることができず、自分を内側から動機づけられると考えました。そして自分のできることは、思考、行為、感情、生理反応を自らの上質世界へ導くことの大切さを説きました。簡単に言うと、自分の理想とする世界を想像し、そこに向かって考え、実行に移すことで、気持ちや体調が良くなるということです。

よく生徒から、やる気が出ませんという話を聞きますが、きっとこの基本的欲求のどれかが不足していて、しかも理想とする姿もはっきりしていないからではないかと分かりました。

彼らの欲求を把握し、理想をはっきりさせるサポートをするのが私たちの役割です。自分のおかげで生徒が上手くやれるようになった。そんな思い上がりがないよう生活していきたいものです。

 

参考文献『選択理論を学校に クオリティ・スクールの実現に向けて』柿谷正期 井上千代

中学生の将来

こんばんは。ようやく手に入れたおやすみ。早速ブログの更新に使っています。日曜日を大切にして、仕事に戻りたいと思います。

さて、この時期の先生の仕事と言えば、保護者会です。私の中学校では個人懇談というみたいですが、三者懇談の方がしっくり来ますね。この懇談は、将来の夢を基にどの高校へ進むべきかを相談する機会です。ですから、9教科の評定値や学力だけで高校を選ばないように様々な話をします。例えば、看護師になりたいのであれば、○○高校の専門科に進む、または◻︎◻︎高校で学力をつけて看護専門学校、または看護大学に進むなど。

ここで悩ましいことが、昨年まで高校で教鞭を執っていた立場として、彼らに合う進路が全く予測不能だということです。例えば保育士を目指して、保育系の学部を持つ系列校がある私立の女子校に進むとします。しかし、いざ系列大学へ進む時に、私の雰囲気に合っていないと分かれば他の大学へ進むことになるため、この高校へ通った意味が薄れてしまうという問題点があります。

もっと難しいのがゲームクリエイターです。彼らには公立高校、私立高校、専修学校(専門学校高等課程)への進学の可能性が出て来ます。どのルートを辿っても最終的には専修学校の○○専門学校専門課程へ進むことになるため、将来を考えたらどの高校に入るかを中学生に考えさせるのはとても難しいことだと気づきました。(大学と専門学校のダブルスクールの可能性もありますが。)

こうやって考えてみると、公立高校がそれぞれ特色を持っていたらもっと進路指導しやすいのに、通っている兄弟や近所の人の評判と学力層のみで特色を捉える傾向があるため、全く見えてきません。学校見学会で何とか保っているようですが、やはり私立高校の方が特色もはっきりしていて、特に学費面にこだわらない家庭は私立へ流れていくのだなと実感しました。この現状をどうする?この問題は、今年から人事交流を行なっている先生方にかかっています。はぁ、私か。

過半数を超える

どうしても気になったので話題にします。表題は誤用です。過半数は、もともと半数を過ぎる、つまり半数を超えた数のことを指します。そして、過半数という文字を見れば誰でも半分以上であることが分かる便利な言葉です。

ただ今回の都議選のように、ある政党が大勝した場合、単なる「過半数」ではその勢いを表しにくく、間違って「過半数を超える」が使われるようになったと言えます。

このように、便利な言葉で意味合いが広範囲に渡るものは、確実に誤用となり得るのだと分かります。他にもそんな言葉があれば、また紹介いたします。ではみなさん、ごきげんよう

自分のために生きる

異動して3ヶ月が経とうとしています。

離任式で話した「自分は何ものであり、何のために、何に向かって、何を学ぶべきか」の答えを探し求めて努力を続けてきましたが、生きることに疲れてしまいました。こんな書き方をすると、自殺するんじゃないかと心配されるかもしれませんが、そうではありません。

私は他人のために生きることが一番だと信じて生きてきました。そしてその考え方を同じくする恩師にも、同僚にも、後輩にも出会い、私の生き方そのものだと思ってきました。しかし、その生き方を続けることを今日諦めました。自分のために生きようと思いました。

自分のために生きるとは何なのか。自己中心的に生きることではなく、今現在を大切にすること。嫌だなと思いながら過ごすのではなく、見方を変えて少しでも前向きに過ごすこと。それが今考え付く中で一番良い答えです。それが具体的にどんなことを表すのか分かりません。でも今よりも前向きに楽しく生きられるような気がしています。