♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

人のため、自分のため

自分のために生きてきた自分が、本気で人のために生きようと決意したのは社会人2年目のこと。当時の上司が全国大会の実行委員長として働く姿を見てからでした。

全国大会では内田樹さんが記念講演をされました。その話をされている時、記念講演を聞かずに働く先生方がいることをその方は分かっていました。何とかしたいという想いから、許可を取って音源をCDに焼き、事務局の先生方全員に配ったのです。一番下っ端でじっくり講演を聞いていた私に対してもです。この瞬間、私もこうなるべきだと熱い想いが湧き上がって来ました。人のために働くことの素晴らしさを感じました。

ただ、現実は甘くありませんでした。色んな人のことを考えて行動するということは、人よりも多く働き、人の嫌がる仕事も積極的にするということです。だから、時々自分は何のために生きているのだろうと疑問を抱くことさえありました。人のために生きることは、自分を犠牲に生きることなのではないか。この先の答えは実は見つかっていません。それはきっと、これからいろんなことに挑戦していくことで見つかるのだと思います。

日本国憲法

シェークスピアの言葉に

「今が最悪の状態」と言える間は、まだ最悪の状態ではない。

というものがまさにそうだと思いました。最近はあー最悪だーと呟くことが多くなりましたが、ついこの間まではしんどい、無理、ダメだが口癖だったからです。どうやら最悪を抜けたようで安心しました。

雑談はさておき、今回のテーマは憲法です。安倍総理が2020年という具体的な期日を示して憲法改正に言及したことは様々な所で話題になりましたね。私が憲法も含め、初めて政治について考えをきちんと持ったのは、確か高校2年生の時でした。フェイスブックで友達になっている杉村くんらと東京の国立オリンピック記念青少年総合センターで政治について熱く語り合ったことがきっかけです。詳しい内容までは覚えていませんが、確か憲法を専門に話し合う分科会と合同で話す機会があって、結論として憲法改正に前向きだったように記憶しています。

私は教員になったので、学校内で憲法について言及する場合、細心の注意を払います。そうは言ってもやはり、憲法改正について賛成か反対かを話すこと自体タブーにしてはいけないと思うのです。賛成ならばどこをどういう風に変えるべきだと思うのか。反対ならば賛成派が納得するような解釈の仕方はどんなものかを話せるようにしておくべきだと思うのです。それが中学生でも高校生でも。

 

丸読みの謎

高校生を相手にしていた時のこと。本文の音読の方法を彼らに聞いていました。

彼らは「丸読み!」と答えていました。「丸読み」とは、文の句点つまり「。」が来たら読み手が交代する音読法です。私はこの音読を中学校の先生が教えているものだと思っていました。小学校ではもっと他の方法があるのだろうと。

ついにそれを確かめる瞬間がやってきました。中学校1年生の音読の時間です。高校生同様に「音読ってどんなやり方がある?」と聞いたら、彼らは「丸読み!」と答えるではありませんか。冷静に考えてみれば小学校で習っていても何ら違和感はないのですが、それならば誰がこの「丸読み」を仕込んだのか。気になります。未だ解明していません。

中学校へ赴任してから、何をいつ身に付けるのかを強く意識するようになりました。私が授業を担当する1年生のクラスでは「敬語を使おう習慣」が担任の先生によって掲げられています。「そうか、敬語は1年生か。」そんな思いを抱きながら日々国語を教えています。

気づきを大切に

新年度が始まってから3週間、始業式から2週間が経ちました。初日から歓送迎会、立て続けの会議、意味不明な言葉や習慣の数々。ご飯が喉を通らず、胃薬を飲みながらお粥を食べたこともありましたが、ようやく慣れてきました。今までの仕事がいかに楽しく、自分にとってかけがえのないものだったのかを強く感じました。

さて、新たな職場ですが、今までできていたことができなかったり、逆にできないと諦めていたことができたりと日々手探り状態です。今まで高校生相手にしていたため、それぐらい自分で判断しなさいと言っていたことを丁寧に教えないといけないことに気づかされました。

ただ、私はこの「丁寧さ」に早くも疑問を持ち始めています。例えば教室でロッカーの上に水筒が載っていたとしたら、中学校の先生は「水筒の置き場所を作ってあげないと」と思うようですが、私は「自分の使える範囲で工夫しておかせたい」と思うのです。(もちろん最初に思うのは、ロッカーの上に物を置くな!と注意することだと思いますが。)今までルールに従うことを教え込まれてきた彼らにとって、私の存在は「生きづらさ」のようなものを感じていたようです。

先日、こんな話をしました。「この教室でこうしたいと思うことある?」そうしたら、案の定「ロッカーに空きがあるから、そこにみんなのボックスを入れたい」とか「名札を掛ける場所が男女一緒で混み合うから場所を変えたい」とか様々な気づきがありました。その時に「じゃあそうしよう。私はみんなに、よりよいクラスにしてもらうために、みんなが使いやすいルール作りをしてもらおうと思っています。私はここにこれを置きなさいという指示は一切しません。まだスペースが余っているロッカーや棚もたくさんあります。提案があったら何でも言ってくださいね。」と言いました。

何でも先生が作った枠に当てはまるのではなく、自分たちで問題点に気づき、どのような解決法があるのかを考えて実行に移すこと。これを中学校でも実践していきたいと考えています。

離任式に際して

皆さんに1つだけ伝えるために今日は来ました。私は総合企画部として、産業社会と人間、総合的な学習の時間を考えてきて、ずっと答えが見つからない言葉がありました。

自分は何ものであり、何のために、何に向かって、何を学ぶべきか

この言葉は、今の3年生には課題研究オリエンテーションで直接伝えました。2年生はつい先月まで、1年生はついこの間聞いた言葉だと思います。5年間答えを探し続けてきましたが、ようやくそのヒントのようなものを得ることができました。

私は高校生の時から高校の先生になりたいと思っていました。だから、そのために努力をしたし、高校の先生になった後も何ができるかを考えていました。

しかし、突然中学校に移って目標を失ってしまいました。自分は何ものなのか?何のために生きているのか?僕はいる意味がないんじゃないかと。

でもそんな時、周りの人から

あなたはいつも前向きで、どんなことにも嫌な顔1つしないね

って言われました。自分にも嫌なことはあるけれど、それを我慢してやってきたのをみんなが見てくれていたんだと思った瞬間でした。また、自分はそうやって何事にも前向きに取り組む存在だということにも気づきました。

自分は何ものであり、何のために、何に向かって、何を学ぶべきか。完璧な答えは見つからないかもしれませんが、必ずヒントは得られます。高校生活の中で様々なことに目を配って、気づき、考え、実行すること。これを頑張ってください。

 

平成29年4月14日 離任式

※一部言葉遣いが変わっています。

年度末、異動を前に

今日は勤務校最後の日でした。残念ながら全く仕事ができませんでした。たくさんの卒業生が会いに来てくれたからです。どなたかに会うついでに私に声をかけてくれた程度だと思いますが、僕に会いに来てくれた!と感じることができました。

以前、担任としての経験をブログに書いたことがありました。(下記参照)

 

http://dzweb8823.hatenablog.com/entry/2017/02/26/214655

 

今回はHR以外のことをお話いたします。

1年目は総合学科の全国大会で、岐阜に行くチャンスがありました。高校生のあらゆる可能性と、愛知県総合学科の乏しさを痛感しました。絶望感に打ちひしがれながらも、私が目標とする先生と「自分たちにできることは何か?」を話しました。その時に出たものが2つありました。それは学校の魅力を伝える動画、パンフレットを作ることでした。この年、あらゆる先生の授業を見に行き、パワーポイントの自動再生で動画を作成しました。

2年目は当時の校長先生のご厚意で、全国連(全国高等学校国語教育研究連合会第46回研究大会愛知大会)の事務局へ参加しました。当前できることは何もなく、ただ会議の話を聞くだけでした。でも、事務局のメンバーはほとんどが当時校長先生、もしくは今現在、校長先生や教頭先生になられている方ばかりで、仕事量の多さと1つひとつの仕事に対する丁寧さに衝撃を受けました。今教育界を支えている人はこんなに凄いんだと強く感じ、次回の愛知大会では自分が貢献できるよう力をつけたいと固く誓いました。

3年目は以前からの夢だったパンフレット作りに着手し、私の周りにいる先生方に声をかけて特命チームを結成しました。それぞれがレイアウト、掲載内容などを細かく考えて、勤務時間外に会議を重ねてついに完成させました。その時、自分の仕事と同時進行でパンフレット作りに協力してくださった熱き想いを持つ先生方に囲まれて幸せを強く感じました。

同時にJRC(青少年赤十字)でもチャンスがありました。全国指導者講習会への参加です。各県で盛んに活動する先生方と寝食を共にして、自分の無力さにまた絶望しました。それでも何かできるのではと考え、学校内でのリーダーシップトレーニングセンターを企画しました。当時の3年生の手助けもあって、部員の意識が上がりました。今の学校ボランティアを支えているのは彼らと彼らの後輩です。

4年目はそのJRCで、今度は全国の指導者として前泊含む6泊7日のプログラムに参加しました。周りは年の離れた先輩の先生ばかり、同県の先生がいらっしゃいましたが、自分に自信が持てませんでした。でもセンター長を務めていた方からの「私にできたんだからあなたにもできます。」という言葉を胸に、自分にできることを精一杯務めました。全国へ帰っていった生徒たちはそれぞれの場所で頑張ったようで、彼らの活動が広報誌で記事にもなりました。生徒が先生を動かすという、新たな教育の力に気づいた瞬間でした。

最後の5年目は、愛知県JRCで指導者講習会の指導者になるチャンスがありました。今まで学んだことを同世代の先生に伝えるのは、本当に難しく最後までしっかり来ないまま終わってしまいました。来年度リベンジしたかっただけに後悔です。

 

こうやって、取り組んできたことを書き出してみると色んな経験をさせてもらったのだなと改めて感じました。これからも拒否せずに色んな経験を積んでいけるよう頑張ります。来年度もよろしくお願いします。

 

孤独死

ご近所さんが亡くなった。ひっそりと自宅で、一人ぼっちだったようです。その方は私が大学時代、アルバイトをしている時に、よく話しかけてくださった方でした。

ある時、私に向かって「私は宇宙と交信ができるの」と話し、この人は何者なのか?と疑ってしまいました。しかし、またある時、「この店はダメだ。知っている人がいても知らんぷり。人も商品も温もりがない。」と言われ、人の気持ちを第一に考える大切さを教わりました。

人は効率化を求めるあまり、人と関わりをおざなりにしてしまうことがあります。私も忙しい時は余裕がなくなってしまって、テキトーに対応してしまって後悔することがたくさんあります。人との関わり、これからより一層気をつけます。