♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

気づきを大切に

新年度が始まってから3週間、始業式から2週間が経ちました。初日から歓送迎会、立て続けの会議、意味不明な言葉や習慣の数々。ご飯が喉を通らず、胃薬を飲みながらお粥を食べたこともありましたが、ようやく慣れてきました。今までの仕事がいかに楽しく、自分にとってかけがえのないものだったのかを強く感じました。

さて、新たな職場ですが、今までできていたことができなかったり、逆にできないと諦めていたことができたりと日々手探り状態です。今まで高校生相手にしていたため、それぐらい自分で判断しなさいと言っていたことを丁寧に教えないといけないことに気づかされました。

ただ、私はこの「丁寧さ」に早くも疑問を持ち始めています。例えば教室でロッカーの上に水筒が載っていたとしたら、中学校の先生は「水筒の置き場所を作ってあげないと」と思うようですが、私は「自分の使える範囲で工夫しておかせたい」と思うのです。(もちろん最初に思うのは、ロッカーの上に物を置くな!と注意することだと思いますが。)今までルールに従うことを教え込まれてきた彼らにとって、私の存在は「生きづらさ」のようなものを感じていたようです。

先日、こんな話をしました。「この教室でこうしたいと思うことある?」そうしたら、案の定「ロッカーに空きがあるから、そこにみんなのボックスを入れたい」とか「名札を掛ける場所が男女一緒で混み合うから場所を変えたい」とか様々な気づきがありました。その時に「じゃあそうしよう。私はみんなに、よりよいクラスにしてもらうために、みんなが使いやすいルール作りをしてもらおうと思っています。私はここにこれを置きなさいという指示は一切しません。まだスペースが余っているロッカーや棚もたくさんあります。提案があったら何でも言ってくださいね。」と言いました。

何でも先生が作った枠に当てはまるのではなく、自分たちで問題点に気づき、どのような解決法があるのかを考えて実行に移すこと。これを中学校でも実践していきたいと考えています。

離任式に際して

皆さんに1つだけ伝えるために今日は来ました。私は総合企画部として、産業社会と人間、総合的な学習の時間を考えてきて、ずっと答えが見つからない言葉がありました。

自分は何ものであり、何のために、何に向かって、何を学ぶべきか

この言葉は、今の3年生には課題研究オリエンテーションで直接伝えました。2年生はつい先月まで、1年生はついこの間聞いた言葉だと思います。5年間答えを探し続けてきましたが、ようやくそのヒントのようなものを得ることができました。

私は高校生の時から高校の先生になりたいと思っていました。だから、そのために努力をしたし、高校の先生になった後も何ができるかを考えていました。

しかし、突然中学校に移って目標を失ってしまいました。自分は何ものなのか?何のために生きているのか?僕はいる意味がないんじゃないかと。

でもそんな時、周りの人から

あなたはいつも前向きで、どんなことにも嫌な顔1つしないね

って言われました。自分にも嫌なことはあるけれど、それを我慢してやってきたのをみんなが見てくれていたんだと思った瞬間でした。また、自分はそうやって何事にも前向きに取り組む存在だということにも気づきました。

自分は何ものであり、何のために、何に向かって、何を学ぶべきか。完璧な答えは見つからないかもしれませんが、必ずヒントは得られます。高校生活の中で様々なことに目を配って、気づき、考え、実行すること。これを頑張ってください。

 

平成29年4月14日 離任式

※一部言葉遣いが変わっています。

年度末、異動を前に

今日は勤務校最後の日でした。残念ながら全く仕事ができませんでした。たくさんの卒業生が会いに来てくれたからです。どなたかに会うついでに私に声をかけてくれた程度だと思いますが、僕に会いに来てくれた!と感じることができました。

以前、担任としての経験をブログに書いたことがありました。(下記参照)

 

http://dzweb8823.hatenablog.com/entry/2017/02/26/214655

 

今回はHR以外のことをお話いたします。

1年目は総合学科の全国大会で、岐阜に行くチャンスがありました。高校生のあらゆる可能性と、愛知県総合学科の乏しさを痛感しました。絶望感に打ちひしがれながらも、私が目標とする先生と「自分たちにできることは何か?」を話しました。その時に出たものが2つありました。それは学校の魅力を伝える動画、パンフレットを作ることでした。この年、あらゆる先生の授業を見に行き、パワーポイントの自動再生で動画を作成しました。

2年目は当時の校長先生のご厚意で、全国連(全国高等学校国語教育研究連合会第46回研究大会愛知大会)の事務局へ参加しました。当前できることは何もなく、ただ会議の話を聞くだけでした。でも、事務局のメンバーはほとんどが当時校長先生、もしくは今現在、校長先生や教頭先生になられている方ばかりで、仕事量の多さと1つひとつの仕事に対する丁寧さに衝撃を受けました。今教育界を支えている人はこんなに凄いんだと強く感じ、次回の愛知大会では自分が貢献できるよう力をつけたいと固く誓いました。

3年目は以前からの夢だったパンフレット作りに着手し、私の周りにいる先生方に声をかけて特命チームを結成しました。それぞれがレイアウト、掲載内容などを細かく考えて、勤務時間外に会議を重ねてついに完成させました。その時、自分の仕事と同時進行でパンフレット作りに協力してくださった熱き想いを持つ先生方に囲まれて幸せを強く感じました。

同時にJRC(青少年赤十字)でもチャンスがありました。全国指導者講習会への参加です。各県で盛んに活動する先生方と寝食を共にして、自分の無力さにまた絶望しました。それでも何かできるのではと考え、学校内でのリーダーシップトレーニングセンターを企画しました。当時の3年生の手助けもあって、部員の意識が上がりました。今の学校ボランティアを支えているのは彼らと彼らの後輩です。

4年目はそのJRCで、今度は全国の指導者として前泊含む6泊7日のプログラムに参加しました。周りは年の離れた先輩の先生ばかり、同県の先生がいらっしゃいましたが、自分に自信が持てませんでした。でもセンター長を務めていた方からの「私にできたんだからあなたにもできます。」という言葉を胸に、自分にできることを精一杯務めました。全国へ帰っていった生徒たちはそれぞれの場所で頑張ったようで、彼らの活動が広報誌で記事にもなりました。生徒が先生を動かすという、新たな教育の力に気づいた瞬間でした。

最後の5年目は、愛知県JRCで指導者講習会の指導者になるチャンスがありました。今まで学んだことを同世代の先生に伝えるのは、本当に難しく最後までしっかり来ないまま終わってしまいました。来年度リベンジしたかっただけに後悔です。

 

こうやって、取り組んできたことを書き出してみると色んな経験をさせてもらったのだなと改めて感じました。これからも拒否せずに色んな経験を積んでいけるよう頑張ります。来年度もよろしくお願いします。

 

孤独死

ご近所さんが亡くなった。ひっそりと自宅で、一人ぼっちだったようです。その方は私が大学時代、アルバイトをしている時に、よく話しかけてくださった方でした。

ある時、私に向かって「私は宇宙と交信ができるの」と話し、この人は何者なのか?と疑ってしまいました。しかし、またある時、「この店はダメだ。知っている人がいても知らんぷり。人も商品も温もりがない。」と言われ、人の気持ちを第一に考える大切さを教わりました。

人は効率化を求めるあまり、人と関わりをおざなりにしてしまうことがあります。私も忙しい時は余裕がなくなってしまって、テキトーに対応してしまって後悔することがたくさんあります。人との関わり、これからより一層気をつけます。

リーダーズIIを観て

リーダーズとは、TBSドラマのタイトルで3年ぶりにシリーズとして戻って来たストーリーです。

主な舞台は愛知県。そして工場は我が故郷、愛知県豊田市です。そう、トヨタ自動車の苦悩を描いた物語なのです。

人間力

先日久々に大学の恩師の家へ行き、ご馳走になりました。仕事からプライベートまで様々な話題に及び、4時間近くお邪魔していました。大変ご迷惑だったと思いますが、ご夫婦ともニコニコされていたので本当にありがたく思いました。

さて、その中で特に気になった話題が「人間力」という言葉です。あなたはこの言葉、どういう意味だと思いますか?

大学生に話を聞くと、「思いやり」や「気遣い」など道徳的な答えが多く出てきたとか。私が思う「人間力」は、どのような環境におかれても自分らしくいられる力です。私もそうですが、初めてであったり慣れなかったりする環境に身を置くと緊張して萎縮してしまいます。でも、私が見てきた教え子の中には、どんな環境でも自分を決して変えない人がいました。そういう人を見るたびに、自分もああならなければと思ってしまいます。

もうすぐ新年度。年度が変わり、生徒の顔ぶれも変わります。その中でも自分らしくやっていくこと、それが今年の目標です。

教え子の闘争

今日、第一志望大学の後期試験合格発表があった。私は同僚の先生とともに岡崎にある岩津天満宮へお礼参りに向かっていた。

車を運転しながらまだか、まだかと待ちながら連絡を心待ちにした。

昼食を食べようと店に入り、一息ついたところで、着信履歴があることに気がついた。結果は合格だった。

思えば今日のために、2年生の時からずっと見てきた。彼のためにやれたことは教科指導よりも、モチベーションの維持や勉強する場の雰囲気作りばかりで本当に力になれたかは分からない。でも、彼が無事合格を手にできた姿を見て、自分のことのように嬉しかった。

本当に色んな人に助けてもらって手に入れた成功。これからも決して驕ることなく、謙虚に力を尽くしていきたい。