♯黒板エッセイ

高等学校の先生になった人が最初に読むべきこと

生徒へのメッセージと出版予定の書籍原稿をアップしています。出版社は決まっていません。教員12年目

トランスジェンダーについて

先日、「彼らが本気で編むときは、」という映画を観てきました。

 

http://kareamu.com/sp/about/story.html

 

このストーリーはトランスジェンダー育児放棄認知症を抱える登場人物に対しての私たちの認識の在り方を問題提起するような作品でした。私は元々、生徒が課題研究でLGBTを研究していたこともあって、その存在と知識は少なからず持っていました。しかし、ドキュメンタリー調で展開されるストーリーは考えさせられることばかりでした。自分の無知さを思い知らされ、いかに狭い視野で人を見ているのかと痛感させられました。

LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーの頭文字です。

人には理解されずに苦しむ人、自分さえも理解できずに今日も苦しみ続ける人、自分の周りにはそんな人が20人に1人の確率でいるようなのです。杓子定規ではなく、人を「理解できないおかしな人」ではなく、どのような人なのかを見つめ、考え、理解することを私は心がけていきます。

担任最後の言葉

みんな、お疲れ様でした。やっぱり泣いてしまいました。笑

こうやって終えられたことを本当に良かったなと思います。

 

<中略>書類等の配付を行う

 

では最後に、みんなに向けて最後のメッセージを送ります。「ひとりだち」という言葉があります。この言葉は、世間では「1人で何でもできるようになること。1人でやろうという気持ちを持つこと。」を表す言葉だと言われています。

でも私は社会人になってから、その意味に加えて、もう1つ意味があると思うようになりました。それは、「1人でやろうという気持ちを持っている人には、必ず周りの色んな人がその人を助けようとしてくださる。」ということです。なかなか最初は、全力で頑張ろうと思っていても、誰かに頼らざるを得ません。また、自分に力がついたとしても、誰かと協力して取り組まなければならないことが必ず出て来ます。そんな時に周りにたくさんの協力者がいたら本当に心強いのです。

もちろん、初めから他力本願で自分を棚に上げるような人物ならば、誰も手を貸してくれません。自分のできることを全て全力で取り組むこと、そしてそれを見た周りの人が「何かできることはない?」と言ってきた時に、素直に助けてもらうこと、これが「ひとりだち」なのだと思います。

このことを忘れず、それぞれを道をしっかり歩んでください。もちろん私は、いつまでもあなたたちの担任ですので、何か不安なことがあったり悩むことがあったりしたらいつでも連絡してください、会いにきてください。待っています。

 

出典:平成29年3月1日 担任講話

卒業直前

いよいよ3/1に卒業式を迎えます。初めて教員として3年間持ち上がってきて、本当に充実していました。

3年前、2年生、3年生と副担任として持ち上がってきた時、担任団としてこの学年のために何かしたかったという思いを強く感じました。特に私は当時プレゼンテーション能力を育てる仕事をしていたので、3年後はもっとレベルアップして、みんながワクワクするような話ができる生徒をたくさん育てたいと強く思いました。また、自分のHRだけでなく学年全体のことを考えてメッセージをたくさん送りたいと思うようになりました。

1年生、初めての担任で副担任の先生は大ベテランでした。何もかもやりたいようにやらせてくだって、それでも手の届かないところには必ずフォローに入って、全面バックアップしてくださいました。学年としての目標が定まらないまま進んでいきそうだったので、全員に積極的に発表の機会を!と提案して、自分のことを自分で語る練習をたくさんさせました。

2年生、同年代の副担任の先生と、更にやりたいことを追求しました。ベテランの先生が抜け、誰に頼ったら良いか分からないと生徒から言われました。でも根気強く朝から晩まで仕事に打ち込みました。自分にできることはあまりないかもしれないけれど、この学年が同じベクトルを向けるよう必死で頑張りました。

3年生、生徒指導上最も信頼していた先生が抜けました。学年全体に締まりがなく何度も苦しく思いました。でも全力でやってくださる先生方を見て、自分も抜けた先生の代わりの一部になろうと努力しました。HRでは明らかに進路実績を残す目的で作られた集団を任され、この学校最強の進路指導の先生が副担任につきました。不安はありましたが、同時に自信もありました。これまでやってきたことを証明してやろうとも思いました。

そうやってあっという間に過ぎた3年間。良かったか悪かったかは分かりません。でも一つ言えることは、何一つ悔いなくやり切れたということです。他人から何と言われようとも自分ができる100%を出し切れたこと、それが一番の誇りです。

卒業式、生徒がどんな気持ちを示してくれるか。一方通行の愛情で終わらないことを祈ります。

送る会

今日は定年を迎える先生方の送る会でした。約70人の方が一堂に会して、盛大に催されました。私も久々に会う方がたくさんいらっしゃって本当に充実していました。

こうやって送られる立場になった時、自分はどれだけの人に祝ってもらえるのだろうと思うと、まだまだたくさんの人たちと関わる必要があるなと感じました。関わりがあると言って、たくさん会えるとは限りませんが、やはりどこかで繋がっているとどこかでまた一緒になったり、助けてもらえたりします。色んな方ももっとお知り合いになれるよう頑張りたいと思います。

おもてなし

こんばんは。昨日、4ヶ月遅れの誕生日プレゼントを女性陣からいただきました。本当に感謝です。ありがとうございました。

人の優しさに触れることはよくあります。特にそれがたまたま出会った人ならば余計に嬉しく感じます。あるサービスエリアのスタバでは、注文をしなかった私に対してよろしければコーヒーをどうぞ!と試飲のコーヒーを差し出してくれました。あるホテルでは到着早々、大変でしたね。荷物お持ちしますよ、長旅だったんですから。と荷物を持ってくれました。

どちらの方にも共通することは、試飲をしてもらう、荷物を運ぶというせねばならない仕事に「自分の言葉、想い」を乗せていたことです。目の前のことに一生懸命になりすぎると、すべきことしかできずに日々が過ぎていってしまいます。でも人と接する仕事に就くならば、やはり仕事に自分の流儀を加えて取り組むことを心がけるべきだと思います。

ルーティーン

こんばんは。先日、HRの生徒の1人が「先生!帰りのSTをやりたいです」と言ってきました。彼は教員を目指しているのではありません。毎日私のモノマネをすべく徹底的に研究しており、その成果を見せたいということでした。

副担任の先生にも許可を取って、いよいよ帰りの時間、STをお任せしました。

「エスティー!」「…」(無言で見つめ、身だしなみを直させる)「はい、ホワイトボードの通り、〇〇指導業後にあります。よろしくお願いします。それから提出物しっかり出して帰るように。」「私からは以上です。〇〇先生、何かありますか?」

こんな感じでした。しかも話し方も完全コピーして再現してくれました。教室内は爆笑の渦に包まれ、私も再現度の高さに思わず吹き出してしまいました。

しかし思ったことはそれだけではありません。私はこのルーティーンを1年間ほぼ崩すことなく続けていることに気づいたのです。私は直接言葉で指示することを極端に嫌うので、まずは席につけ!のエスティー!という掛け声。そして机の上に荷物を置かず身だしなみがきちんと整った状態になってからしか話し始めないという流儀を通すため、無言で見つめる動作をします。それゆえ、そういった一つひとつは、私だけの当たり前の流れではなく、HRの生徒にとっても当たり前の流れになっていたようなのです。良い習慣を身につけるためには、私たちがいかにして良い習慣を粘り強く指導するかを考えていかなければならないですね。

インフルエンザ

こんばんは。今日は久々に外へ出かけたのでもう眠いです。少しだけお話ししましょう。

1週間前からインフルエンザが大流行しました。おかげで至る所で代役を務め、正直しんどいなと思う場面も何度かありました。でも私は全く健康上問題なく、自分の周りにも不健康にならないよう最大限努力しました。

その関連で言えば、やはり青少年赤十字でしょう。私の携わる青少年赤十字の行動目標は、健康安全、奉仕、国際理解親善です。これは人の役に立つ以前に、自分の健康に留意して活動することを大切にしていることを表しています。どうしても、青少年赤十字はボランティアで、人の役に立つために尽くすことだと思われがちです。でも一番大切なのは、そういう意味で人を思いやることではなく、自分自身を「思いやる」ことだということなのだと思います。

同じことがAED(自動体外式除細動器)の使い方でも言えます。この機器を使う時に一番初めに行うことは、傷病者発見後すぐに近寄るのではなく、周囲に危険がないかを確認してから近寄ることだと教わります。つまり、人に何かをしなければという責任感を持つことよりも、まず自分が心身ともに健康であることこそが大事なのだということです。

健康第一。明日からも頑張ります。