授業とは、ライブである。

私が中学校に赴任してから、初めて言われた言葉、それは「先生の授業ってライブみたいですね。」だった。

国語の時間は、いつもワクワクして、時には盛り上がり、時にはしっとりと考えを深めていく、そんなイメージからなのだろう。

あれから4ヶ月。今日、衝撃的な出会いを果たした。

 

今日は5年経験者研修。大学時代の友人とも再開を果たすも、高等学校で研修をやってきた私には全てが新鮮だった。今回の課題のテーマが「読むこと」であった理由として学力学習状況調査が取り上げられた。学力学習状況調査とは、小学校6年生と中学校3年生を対象に実施しているもので、国語にはA(知識、基礎基本)、B(活用、応用)がある。この中で近年、B分野の、情報収集をしたり、根拠を基に答えを導き出す「読解力」が課題として挙がっているそうなのだ。ではこの力をどうつけていけばよいのか?そのヒントとなる講義、演習を受講できた。

 

衝撃を与えたその先生が初めに言った言葉、それがこの文章の最初に扱ったことと全く一緒のことだった。

「私は授業を、ライブだと思っています。全員が盛り上がれる授業を目指して色んな小道具を準備しているのです。」

そう言って、袋の中からピコピコハンマー、大仏のお面、馬の被り物などを取り出し紹介してくださった。なかなか面白そうな先生だなと思った。

その後の研究討議。同僚の先生方から、教科書以外に作品理解に絵本、心情理解に心情曲線、人間関係をマップに書き起こすなどの工夫が出され、なるほど!と驚きの連続であった。同時に、教科書を基に、話術で勝負していた私は恥ずかしくなってしまった。私も「お笑い」の要素を取り入れているが、そんなものは工夫にならないなと反省した。

その先生は次にこんな話をされた。

「子どもから《国語は答えがないからつまらない》という声を聞いたことがありますが、それを言わせず、国語にははっきりとした答えがあるよ!ということを教えなければならないのです。その教えも、先生の言葉で語ってしまったら、子どもからしたらこんなにつまらないことはないと思ってしまいます。だから、それを子どもに言わせて、つまらないと言う子たちに対して子どもから説得させることが必要なのですよ。」

国語は感覚ではなく、筋道立てて読む必要があることを、生徒から生徒に伝えさせる。こんなに難しく、こんなに理想的な形があるのかとまた衝撃を受けました。

更に、こんな話もありました。

「私の授業は、戦う話し合いをします。戦うからには勝たなければなりません。勝つためには、説得力が必要です。例えば、この物語のクライマックス(一番の盛り上がり)はどこ?という発問をします。これを全員に考えさせるために、4人のグループを作って、4人でそれぞれの説を戦わせます。できる子たちは雄弁に説得できますが、できない子たちはそれができません。そこで、できない子たちはこの子たちの説得から納得できるものを選んで自分の意見にしてもらいます。最終的には説を絞るために、違うと思うものを選んで少数派を潰していきます。これが戦いです。」

この話を聞いていると、少数派の子たちが自信をなくしてしまうのではないかと心配をしてしまう。でも、実はこの少数派が正しい答えであることも多々あり、子どもたちはそれも含めて楽しんでくれるとのこと。この戦う話し合いを聞いた時、元小学校校長の斎藤喜博先生の活動を思い出した。

例えば、「出口論争」である。国語の教科書の一文に「あきおさんとみよ子さんはやっと森の出口に来ました」とあり、この「森の出口」というのは一体どこにあるのかという発問がなされた。子どもたちの討論では、森とそうでないところの境目が出口だと解釈に落ちついた。しかしそれに対して斎藤は、「そんなところは出口ではない」と真っ向から否定して新たな説を持ち出して説得したという。これは私がやりたかった授業の1つとして、5年前からずっと思い続けてきた方法であったため、早速2学期から活用しようと考えた。

他にもたくさんの名言を残して先生は去っていかれた。その後も「話すこと」「聞くこと」の分野でも講義があったが、あの先生の衝撃に勝るものはなかった。さてあと2週間で何ができるのか。ひたすら自問自答の日々が続きそうである。

 

先生、私たちでやります。

最近、部活動を見ていて、顧問である私が邪魔だと考えてか、題名のようなことを言うことがあります。ここで怒れば良いのですが、確かに自分が指導して彼女たちの力が伸びるとも思わないので、そうかと言って素直に引き下がります。ただ、ここに私の信念がしっかりと貫かれているなと改めて感じたのです。下記は2016年3月2日の投稿です。

 

仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男が懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いてしまった。

この話は、大村はま先生の『教えるということ』で取り上げられている奥田先生から教えられた話です。
ここでは、男が自分の力でついに大きな壁を乗り越えたと勘違いしたことに重点を置きます。もしこれが、仏様の力だと分かったら、仏様に対する信仰心はあつくなるものの、自分の能力は高まりません。その点、仏様の力とは知らずに成功を収めた彼は大きな成長を感じたのでした。
これは教育に大きく関わってきます。何何先生のおかげで、とか先生がいたからこそみたいな言葉をかけられると教師冥利につきるなと思います。でもそれは、もしかしたら思い上がりなのではないか。卒業してから5年後、10年後、初めて先生の思いが分かったり、最後まで分からなかったりするのが理想なのではないかと思うようになりました。
本音は感謝されたいですけどね。

 

今の部活動に話を戻すと、彼女たちにはこうなってほしいという思いをもって指導にあたっています。それは、①自分の考えをもて。②練習は人から与えられるのではなく、自分で必要だと思うことをやれ。③与えられた環境を上手く使え。です。この3つの思いを基に、題名の生徒の言葉を思い返すと、彼女たちとしては単に「顧問は指導者としては使えない。自分たちでやるしかない。」と考えているのかもしれませんが、無意識にしっかりと私の考えている方向に進んでくれているなと思うのです。

私は前面に立って、俺についてこい、俺の言うことを聞け、という指導はしたくありません。それは、生徒たちの考える力を奪うことになると思うからです。だから私の教育は間違っていない。そう思っているのです。

ただ、後悔もしています。もしかしたら自分の思いをもっと伝えられるようにした方が良いのではないか。その方が間違った方向に進んだ時、しっかりと道標になってあげられるのではないか。そう思って彼女たちを集めて話をしても、やはり心はこちらに向いていません。制御不能。私は間違っているのだろうかとやっぱり不安になってしまうのでした。

ボランティアで大切なことは?

先週のこと。昨年度までお世話になっていた青少年赤十字リーダーシップトレーニングセンター(JRCLTC)に、完全プライベートで参加させてもらっていました。久々の高校生相手に気合いが入りました。

LTCでボランティア企画力を養うVS(ボランタリーサービス)活動では、参加者全員が気持ちよく生活できるよう小さなボランティアを企画する活動です。例えば、食事の座席を意図的に変えていろいろな人と話をするとか、お風呂が混雑するから時間帯を分けた方がいいとかいう提案です。

ある日、この食事とお風呂のVSが上手く噛み合わず、食事の終了時間が遅れ、お風呂に入る時間が減ってしまう事態が発生したのです。その日最後のプログラムではこの事態に対して、ニーズがきちんと考えられていたのか?この活動によって逆にありがた迷惑になる人は出なかったか?ということや、そもそもこの活動にニーズはあったのか?という話も出ました。

ボランティアで大切なことは、普通の人なら、どれだけ取り組んだか、どんなすごい活動をしたのかに注目しがちです。しかし、実はそれよりも大切なことがあります。それは、様々な人の立場に立ってニーズを正確に捉えることです。

例えば、ハンドベル演奏のボランティアをする時に、予定よりも時間が押してしまう場合があります。この時、予定通り演奏を続けて時間をオーバーするのか、それとも時間きっちり終わるようにカットするのかを考えます。この曲を聴くためにここへ来たという人の立場で考えるならばカットはあり得ないと思うのですが、この後予定がある人にとっては時間オーバーがあり得ないと思います。それぞれの立場を踏まえて、自分がどう行動するのかが非常に重要になってくるのです。

私が思うに、今の中高生に足りないのは「臨機応変さ」です。仕事に就いても続けられない。自分を中心に置いて、目の前の面倒なことは避ける。これらの傾向は、成功できる型を教えるのみで、その場に応じて型を直したり作り変えたりする機会を与えられていないことが原因だと考えます。中学校では、型を与えてその通りにやることのみで終わってしまう。高校では、中学校までできていた人がそのまま引き続きやるか、先生から与えられた型通りにやってその場をしのいでいくのです。この現状をどうすべきか。やはりボランティアのもつ教育力も、価値も、もっと幅広く知ってもらう必要があるようです。

もし中学校ソフト部顧問が「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を読んだら

ソフトボール部の顧問として働き始めて4ヶ月。3年生が引退して新しいチームが発足した。しかし、急にノックが上手くなるわけでもなく、専門的な知識が急増するわけもなく、日々苦しさを感じているのが現状です。

現状を打破するためには、部活動に携わろうとする方々の強みを活かす仕組みづくりと、生徒たちの自主性を具現化するマネジメントだと考えました。それゆえ、この本を手に取ったのです。やはり、自分の考えは間違っていませんでした。

この本で最も印象に残った内容は「野球には、感動を求めている」ということでした。この部活動を頑張る理由は、応援してくれる人が感動してもらうためであり、自分たちもその感動を味わえるため。それを実現するためには何が必要なのかを考え、実行に移していく主人公の姿に力強さを感じました。

自分だったらソフト部に何を求めるのか。優秀な成績を残しても何か腑に落ちない。生徒たちの楽しそうな姿を見て気持ちが高まっても、どこかしっくりこない部分があります。私の中の答えはまだまだ見つかりそうにありません。

ちょっと今から仕事やめてくる

本のタイトルです。今の仕事を辞めようと思っているわけではないのでご心配なく。

ネタバレはしたくないので、感じたことを書いておこうと思います。今の仕事には段々順応してきて、精神的な辛さはだいぶ無くなってきましたが、一時期は本当に毎日が辛くて辛くて仕方ありませんでした。周りの人がみんな敵に見えて、自分1人で頑張らなければと思う気持ちが強くなればなるほど逃げられなくなっていく。その状況に主人公も陥っていて、読んでいても苦しさを感じるほどでした。幸い、私が信頼する方に助けていただいたので問題ありませんでしたが、やはりそうでない場合には「逃げ道を作っておくべき」なのだと思いました。

世間一般に言われていることができなければ不幸だ、可哀想だと思い込んでしまいますが、実は自分が納得できる人生ならばどのような形でも良いのだなということを再認識しました。やぁ〜小説って、ほんとにいいもんですね。

お掃除のおはなし

こんにちは。今日は時間にゆとりがあったので、時間休→献血→喫茶店→バッティングセンターのルーティンです。喫茶店で読み終えた本のタイトルは

『ぞうきん1枚で人生が輝くそうじ力』著:船越耕太

です。この本は、人生が澱んでいた時にたまたま目についた本で、清掃指導の参考になるかなと思って購入しました。しかし、内容を見て愕然としました。

 

「見えないところをそうじすることは、自分の人生のなかでフタをした場所の感情に触れるということ」

 

掃除は、綺麗になった空間を見て達成感を得るもの、だから大切だと思い込んでいました。でも大切なことは、掃除を通して自分と向き合うことだというのです。

掃除をやっていて嬉しかったことは、周りが綺麗になったという事実と、他人から褒められたという体験ではありませんか?私はこの2つのみです。しかし、他人のために掃除を続けることはとても辛いことだと筆者は言います。それは自分の気持ちを押し殺すことで、自分は何のためにこんなことをやっているのだろうと否定的な感情ばかり出てきてしまうからです。だから、自分が避けていたことに向き合うことで、周りも自分と向き合ってくれるという「鏡の法則」の考え方にはとても共感しました。

上手くいかないときこそ、自分を見つめ直す。その方法の1つとして掃除を提唱するこの本。なかなか貴重な体験でした。私ももう一度自分に向き合ってみたいと思います。

運動部について

今回読んだ本は『運動部活動の教育学入門 歴史とのダイアローグ』著:神谷拓 です。例によって、教頭先生の推薦図書です。

この著書では、部活動は必須クラブが形を変えたものという歴史的な背景と、部活動が目的とするものは何かが書かれていました。もともと、この活動は「自主的かつ主体的に取り組むものであり、全員が参加できるもの」とされていました。そのため、どれだけ強いかを確かめることに重きを置かず、中高生の全国大会も禁止されていました。しかし、海外での大会、特にオリンピックでの惨敗を機に、早くからのエリート養成が求められ、勝利至上主義を良しとする考えが広まってきたと言います。

昨今、中高生たちの活躍がテレビで頻繁に報道されていますが、それは幼い頃から全国の場で戦ってきた賜物であって、世界の場でも堂々と戦う姿を見ると、この勝利至上主義は全てが間違っているとは思いません。けれども、一般の中高生にあてはめるとどうでしょうか。1年生のうちから実力を認められて、腕を磨く生徒もいれば、せっかく部活動に入ったのに試合に出られず引退を迎える生徒もいるはずです。これではやる気も削がれるし、そもそもの「全員参加」が蔑ろになっています。ここが問題なのだと著者は言います。

私はこの本を読んで、やはり勝利至上主義に走らず、自分たちに足りない考え方は何か、力は何かをしっかり考えさせて自分たちで行動させる仕組み作りが必要だと感じました。特に私が今指導するソフトボールは、俺についてこい、言う通りにやれば上手くなると考えている指導者が多いように思います。だからこそ私は上からものを言うことなく(言おうと思っても言えませんが)、生徒たちが自分たちで決定できるよう、マネージャーのような立場で部を運営したいと考えます。

最後に、ある方からの一言です。「あなたはソフトボール『を』教えるの?ソフトボール『で』教えるの?」私がやりたいことは、どうやら後者のようです。